出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…徳川幕府は茶屋や茶屋女を取り締まり,延宝(1673‐81)以後おもに数量規制で対処したが,実効は薄かった。料理茶屋の多くは貸席的性格をもっていたが,その中から貸席専業の待合茶屋,席貸(せきがし)が現れ,さらに男女の密会を専門とする出合茶屋(または盆屋(ぼんや))が分岐した。遊郭には編笠茶屋,引手茶屋があり,茶屋と略称されることがあった。…
…江戸では,浅草御門から柳橋周辺の河岸,日本橋,江戸橋近辺の河岸を中心に,今戸橋,山谷河岸,本所,深川などに散在し,納涼,花見などの船を出すほか,その座敷は男女の密会や,酒宴の場として使われた。さらに,吉原通いに猪牙船(ちよきぶね)を仕立てることが有名なように,船宿では遊客のためのさまざまな便宜をはかり,実際には待合茶屋,出合茶屋としての機能を果たしていた。【玉井 哲雄】。…
…貸席業としての待合は,江戸時代の待合茶屋を起源とする。待合茶屋は,商人の寄合いや旅人の送迎など,本来の待合せに利用する茶屋であったが,明治初年以後は花柳街における芸者との遊興場所として急成長した。…
※「待合茶屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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