徳島県東部、小松島湾に臨む市。徳島市南東部に接する。1951年(昭和26)市制施行。1956年坂野町を編入。JR牟岐(むぎ)線、国道55号が通じる。市街地は神田瀬(かんだせ)川の河口両岸にあり、北岸は港。市の発展は、1913年(大正2)徳島市と小松島間の鉄道開通に始まり、1934年の小松島港本港地区の完成で京阪神への玄関口の一つとなった。1948年開港場、1951年重要港湾に指定された。さらに1964年の新産業都市指定に伴い、小松島・徳島の両港を合併して小松島港とし(2000年徳島小松島港と改称)、また湾岸南部の金磯(かないそ)地区に1万トン岸壁が完成した。金磯は工業港として外材の輸入が多い。さらに赤石地区でも大型岸壁の整備が進められ、2011年(平成23)からコンテナターミナルとして釜山とコンテナ定期航路が就航している。港湾周辺にはパルプ、木材などの工場が立地する。南部の立江(たつえ)地区は旧土佐街道に沿い、四国八十八か所第19番札所立江寺の門前町である。また田野地区には第18番札所の恩山寺がある。小松島湾東部の和田ノ鼻は砂州状の半島で海上自衛隊基地があり、浜堤(ひんてい)列を利用してキュウリ、イチゴの施設園芸が盛んである。沿岸ではシラスをはじめ、イカナゴ、イワシ、ハモなどの漁獲があり、ワカメの養殖が行われる。市街北部の日峯大神子(ひのみねおおみこ)広域公園は好展望台で、恩山寺付近の旗山は源義経(よしつね)が平家追討の際に上陸した地と伝えられ、義経騎馬像が立てられている。阿波(あわ)の狸(たぬき)合戦として知られる金長たぬきの伝説が残されている。面積45.37平方キロメートル、人口3万6149(2020)。
[高木秀樹]
『『小松島市史』全3巻(1974~1988・小松島市)』▽『『小松島市史 風土記』(1977・小松島市)』
徳島県東部,小松島湾に臨む港湾都市。1951年市制。人口4万0614(2010)。古くからの港町で,徳島の海の玄関であった。大正時代に入って徳島~小松島間の鉄道の開通,阿摂航路として大阪港との間の海運営業開始,東洋紡績の工場建設が相次ぎ,近代的な都市としての発展を始めた。1934年新港が完成し,48年には外国貿易が認められる開港場に指定された。さらに新港とその南の金磯にそれぞれ1万トン岸壁が完成し,前者は商業港,後者は工業港として利用されており,外材の輸入が多い。64年新産業都市の指定を受け,製紙,化繊,パルプ,セメントなどの工場も誘致されて工業都市化し,市の北西部の水田地帯が宅地化している。特産にヤマモモ,イカナゴがある。西部の恩山寺は四国八十八ヵ所18番,南部の立江寺は19番の札所で,阿波狸合戦で知られる金長(きんちよう)神社は阿波三峰の一つ日峰山麓にある。源義経が平家を追って1185年(元暦2)摂津より上陸した地は恩山寺に近い旗山といわれる。JR牟岐線が通る。
執筆者:高木 秀樹
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