内橋村(読み)うちはしむら

日本歴史地名大系 「内橋村」の解説

内橋村
うちはしむら

[現在地名]粕屋町内橋

新長者原しんちようじやばる村の西に位置し、西は箱崎はこざき(現福岡市東区)。永和四年(一三七八)九月一六日、対馬守護宗澄茂は野伏合の功績により、「ちくせんのくにうちハし」内の一名を「つなの源次」に給分として宛行っている(「宗澄茂書下」宗家御判物写/南北朝遺文(九州編)五)。「うちハし」は当地のことか。室町期(享徳頃か)と推定される糟屋西郷年貢算用状断簡(石清水文書/大日本古文書四―二)に「打橋村」とあり、糟屋西かすやさい郷のうち。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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