20世紀日本人名事典 「内田忠光」の解説 内田 忠光ウチダ タダミツ 明治・大正期の実業家 生年明治3年(1870年) 没年大正11(1922)年12月 出生地筑前国福岡(福岡県) 経歴叔父・浩太郎の経営する赤池炭鉱に入社、機械課長を務め、のち経営に参加する。明治27年東学党の乱には弟・良平の渡鮮を助ける。日露戦争後、良平らの国家主義運動支援の資金獲得のため、自身も朝鮮に渡り大同洋行、北韓漁業、北京西山炭鉱などを興したが失敗した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田忠光」の解説 内田忠光 うちだ-ただみつ 1870-1922 明治-大正時代の実業家。明治3年生まれ。内田良平の兄。平岡浩太郎の甥(おい)。叔父の経営する赤池炭鉱に入社しのち経営に参加。日露戦争後,良平らの国家主義運動支援の資金獲得のため北韓漁業などをおこしたが失敗。大正11年12月死去。53歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by