内田忠蔵宅跡(読み)うちだちゆうぞうたくあと

日本歴史地名大系 「内田忠蔵宅跡」の解説

内田忠蔵宅跡
うちだちゆうぞうたくあと

[現在地名]中村区名駅五丁目

納屋なや町の豪商。知多郡内海うつみ(現知多郡南知多町)の出身。その祖庄左衛門尉は信長に属し、永禄六年(一五六三)五月、舟奉行を拝命。信長の没後、子の信孝に仕えたが、のち百姓となった。内田庄治と改めたのはこのとき。庄治の子孫は数代庄屋を勤め、久兵衛を襲名した。忠蔵代の享保年中(一七一六―三六)名古屋へ出て米穀商を開いた(尾州諸家系図集)。某家に奉公、車を引いたり、さまざまな苦労を体験したすえ、数十万の金を蓄積したという(青窓紀聞)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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