日本歴史地名大系 「内部庄」の解説 内部庄うちべのしよう 広島県:高田郡吉田町福原村内部庄福原(ふくばら)を中心に可愛(えの)川を隔てて対岸の桂(かつら)・川本(かわもと)・山手(やまて)・中馬(ちゆうま)を含む地と考えられる。「和名抄」記載の内部郷が荘園化したものと思われ、荘名は嘉応三年(一一七一)二月一六日付の散位藤原朝臣書状(巻子本厳島文書)に「当国内部庄薗、比日其御倉敷被免沙汰候之由見候了」とみえる。文治五年(一一八九)六月日付の安芸国内部荘領家源某下文(新出厳島文書)に「可早免除清元(佐伯)所領田畠并在家雑免事」として「右、件以雑事、伊津岐嶋大明神御前令勤仕御神楽、鎌倉殿奥迫合戦之間、御祈無退転可奉申也、且清元依為彼社之神官、令免除即名田在家役万雑事、付仰御祈祷処也、但於官物者、本田段別乃米四斗、新作田乃米三斗、令弁済御庄、至于万雑事者、令免除永年間、(下略)」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報