日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊谷家文書」の意味・わかりやすい解説
熊谷家文書
くまがいけもんじょ
旧萩(はぎ)藩士熊谷氏所蔵の古文書。東国御家人(ごけにん)であった熊谷氏は、承久(じょうきゅう)の乱(1221)の功を契機に安芸(あき)国三入庄(みりのしょう)(広島市安佐北区可部(かべ)町)に西遷し、のち毛利(もうり)氏に従った。その間の1191年(建久2)「熊谷蓮生直実譲状(くまがいれんしょうなおざねゆずりじょう)」から1690年(元禄3)「毛利吉就一字書出(もうりよしなりいちじかきだし)」に至る500年間の系図を含む257点の文書からなる。中世封建領主の支配構造の展開を、その出発点である名字地(みょうじのち)(この場合は、武蔵(むさし)国熊谷(くまがや)郷)から知ることのできる史料として貴重である。『大日本古文書 家わけ14』所収。
[鈴木哲雄]