竹原郷
たけはらごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「三国地志」は鳳凰寺村(現阿山郡大山田村)にあてる。「日本地理志料」は近世中村郷千戸・真泥・畑村・炊村・甲野・鳳凰寺・平田・富岡・中村(現大山田村)の諸村にあてる。
竹原郷
たかはらごう
「和名抄」所載の郷。東急本に「多加波良」と訓ずる。郷域については以前から現小松市滝ヶ原町を遺称地とみて、動橋川支流の栄谷川河谷一帯とする説が有力であった(「日本地理志料」「加賀志徴」など)。しかし「たかはら」を「たきがはら」にあてるのは音韻上難があり、遺称地および郷域は未詳とすべきであろう。また「加能越氏族伝」は「財は、江野と同じく当国の地名にて、和名抄に加賀国江沼郡竹原多加波良とある郷名より出でたる姓なるべし」とするが、財部は石川郡人財逆女(「続日本後紀」承和元年二月一三日条)、能美郡人財部造継麿(同書承和四年一一月一七日条)の例にみられるように、石川郡や能美郡に分布する人名で、竹原郷にのみ結び付けて論ずることはできない。
竹原郷
たかはらごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「竹原」と記し、後者が「多加波良」と訓を付す。「芸藩通志」は「村名に遺れり」とし、「日本地理志料」は竹原・国司・常友・常楽寺・福原・小山・山手・川本の諸村(現高田郡吉田町)にあてる。
竹原郷
たけはらごう
竹原川流域にあったとみられる郷。仁安元年(一一六六)頃と推定される飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)に「竹原八幡宮」とある。同宮を乗政の八幡神社とする説があるが未詳。応永一八年(一四一一)九月、三木則綱は、飛騨国司姉小路尹綱を討った勲功として、京極氏から益田郡竹原郷を与えられたという(「平野速入寺記」大野郡史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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