出屋村(読み)いでやむら

日本歴史地名大系 「出屋村」の解説

出屋村
いでやむら

[現在地名]赤坂町多賀たが

多賀村の北に位置し、すな川と倉敷往来に沿う。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)では軽部かるべ庄に村名がみえる。「吉備温故秘録」は笹原ささはら庄の村とする。寛永備前国絵図では高二〇四石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高二二六石余。貞享元年の荒などを引いた残高は一八七石余。「備前記」は枝村栗皮くりかわを載せる。享保六年(一七二一)には田畠一六町四反余、家数二四・人数一六六、池五(備陽記)。天保九年(一八三八)の「手鑑」(森文書)によると直高二〇九石余、蔵入と家臣一名の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む