朝日日本歴史人物事典 「出羽房雲厳」の解説
出羽房雲厳
平安末期・鎌倉初期の若狭国(福井県)の武士。幼名若丸。若くして比叡山で修行し,丹生出羽房雲厳と名乗る。下山後の治承2(1178)年,国衙領太良保(太良荘,福井県小浜市)の公文職に補任され,祖父以来の根本領主としての権利を継承した。これより以前,雲厳の師凱雲は太良谷に薬師堂を建て,荒野を開発していた。雲厳は治承・寿永の内乱に若狭国最大の在庁官人稲葉時定に従い,鎌倉殿御家人として活躍。しかし建久7(1196)年,時定が失脚し,若狭忠季が守護に補任され,太良保地頭になるにおよんで苦境に陥り,時定の子時国に公文職や薬師堂などの権利を譲り,隠退せざるをえなかった。
(林文理)
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