刀田村(読み)とたむら

日本歴史地名大系 「刀田村」の解説

刀田村
とたむら

[現在地名]加古川市加古川町北在家かこがわちようきたざいけ

北在家村の南に位置する。天文一四年(一五四五)一二月一三日の鋳物師新五郎等連署売場売券(芥田文書)刀田寺とたでら町とみえ、この頃市場が存在した。近世初期にはのちの刀田村・小安こやす村両村一帯を鶴林寺かくりんじ(刀田寺)と称していた。慶長六年(一六〇一)鶴林寺検地帳(鶴林寺文書)によると高一九三石余、うち鶴林寺領高一〇〇石、名請人は大部分が同寺の塔頭であった。また同年、片山五兵衛と佐久間小左衛門が鶴林寺のうちに高各四六石余の知行を認められている(「池田輝政家臣地方知行状」鳥取県立博物館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む