鶴林寺(読み)カクリンジ

デジタル大辞泉 「鶴林寺」の意味・読み・例文・類語

かくりん‐じ【鶴林寺】

兵庫県加古川市にある天台宗の寺。山号は刀田山とたさん秦河勝はたのかわかつ聖徳太子の命で建立したと伝えられ、平安中期ごろの創建。もと、法相三論兼宗。本堂・太子堂は国宝。刀田の太子。

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精選版 日本国語大辞典 「鶴林寺」の意味・読み・例文・類語

かくりん‐じ【鶴林寺】

  1. [ 一 ] 兵庫県加古川市加古川町北在家にある天台宗の寺。山号は刀田(とだ)山。聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて建立させたと伝える。鳥羽天皇勅願所入母屋(いりもや)造りの本堂、宝形(ほうぎょう)造りの太子堂が国宝に指定されているほか、多くの古美術品を収蔵する。戸田太子堂。播磨の法隆寺
  2. [ 二 ] 中国の宋代に、江蘇省鎮江の黄鶴山にあった寺。宋の高祖がこの寺に遊んだ時、黄鶴が飛んだことに由来。旧名、竹林寺

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日本歴史地名大系 「鶴林寺」の解説

鶴林寺
かくりんじ

[現在地名]加古川市加古川町北在家

鶴林寺公園内にある。天台宗で刀田山と号する。本尊は薬師如来。西の法隆寺・刀田とた寺・戸田寺・刀田の太子ともいわれる。寺伝では聖徳太子が高麗僧恵便を招請して草創、ついで養老二年(七一八)武蔵国大守大目身人部春則が刀田山四天王してんのう寺と改めたと伝える。一説には平安時代後期頃に在地豪族の身人部(六人部)氏の発願により建立されたもので、平安後期の造立である太子堂・常行堂がこれを裏付けるとする。ただし天平一九年(七四七)二月二一日の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(法隆寺蔵)に、庄四六処のうち「賀古郡一処」、天平宝字五年(七六一)一〇月一日の法隆寺縁起并資財帳(同寺蔵)に墾田地一二五町のうち「播磨国賀古郡一百町」とみえ、大和法隆寺の寺領を示しており、鶴林寺の建立される素地は古くさかのぼるといえる。中世には寺域は賀古かこ庄内に所在した(年未詳二月一二日「薬師寺元長折紙」鶴林寺文書、以下断りのない場合は同文書)。宝治三年(一二四九)法華堂(太子堂)が修理されている(太子堂木部銘)。弘長三年(一二六三)二月七日には沙弥誓願らが檀那となって棟上が行われた(建物不詳、木片銘)。文永五年(一二六八)一〇月五日、左衛門尉平某らは大講堂六禅衆供料米として浮免三町を寄進している(左衛門尉平某・大法師某供料米寄進状)。正中三年(一三二六)再び法華堂修理が長田ながた村の大工らにより行われた(前掲木部銘)。康暦元年(一三七九)八月六日、如意輪観音(懸仏)が奉納された(太子堂如意輪観音懸仏銘)

応永四年(一三九七)四月一五日には大講堂(本堂)が願主肥前阿闍梨覚芸らによって上棟され(本堂棟札)、同一三年四月二〇日に山王社の上棟が(行者堂棟札)、同一四年には鐘楼堂の修復がなされている(鐘楼木部銘)


鶴林寺
かくりんじ

[現在地名]勝浦町生名

勝浦川流域より南の鶴林寺山(鶴ノ嶽)にある。高野山真言宗。山号は霊鷲山。本尊は地蔵菩薩。四国霊場八十八ヵ所の第二〇番札所で、御詠歌は「しけりつる鶴のはやしをしるへにて大師そいます地蔵帝釈」(四国遍礼道指南)。延暦一七年(七九八)空海が太龍たいりゆう(現阿南市)を創立しているとき北に望む山が古伝法輪の霊地という夢告を得たことから、老杉に雌雄二羽の鶴が翼を広げて守護している格好の地蔵菩薩を本尊として安置し、堂塔を建立したと伝える。平安後期とされる木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財)のほか、鎌倉末期から南北朝期にかけてと推定される絹本著色地蔵来迎図、南北朝期から室町初期にかけてと推定される絹本著色釈迦三尊像(ともに県指定文化財)がある。


鶴林寺
かくりんじ

[現在地名]生駒市鬼取町

生駒山の東中腹、鬼取おにとり集落の北にある。鬼取山と号し、単立。「大和名所図会」に「鬼取山鶴林寺 平群郡生駒山の麓、有里村にあり。本尊は薬師如来にして、此山の旧名は般若岩屋といふ。又鬼取とは役行者儀学・儀賢の二鬼をとらへられし所といへり」とある。鎌倉時代初期を下らないとされる「諸山縁起」には「鬼取寺」とあり、「大乗院寺社雑事記」寛正三年(一四六二)八月二四日条に「昨日ヨリ伊狗寺ヲントリ、焼亡、禅・学相論事故」とあるのは当寺のことであろう。

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改訂新版 世界大百科事典 「鶴林寺」の意味・わかりやすい解説

鶴林寺 (かくりんじ)

兵庫県加古川市にある天台宗の寺。山号は刀田山(とださん)。〈刀田の太子〉と俗称され,揖保郡太子町の斑鳩寺(はんきゆうじ)の〈鵤(いかるが)の太子〉とともに,播磨の太子信仰を二分する。寺伝では,587年(用明天皇2)聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立,自作の釈迦三尊と四天王像を安置したのに始まり,718年(養老2)武蔵国大目身人部春則(みひとべのはるのり)が七堂伽藍を修造,刀田山四天王寺と号したという。747年(天平19)の〈法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳〉および761年(天平宝字5)の〈法隆寺縁起資財帳〉に当寺の創建に関連するとされる記述がある。その後,852年(仁寿2)円仁(えんにん)が諸堂を修理して,法相宗から天台宗に改宗,鳥羽天皇の勅願寺となって宸筆の〈鶴林寺〉の扁額(重文)を賜ったという。しかし,現存最古の堂である太子堂は,1112年(天永3)に法華堂として建立されており,当寺の創建は平安中期をさかのぼらないとする説が有力である。寺のある賀古荘は京都青蓮院領で,青蓮院門主が四天王寺別当になることが多かったことから四天王寺との関係を強めて太子伝説が付会されたものらしく,その時期は法華堂が太子堂に改造される鎌倉時代のことらしい。当寺現存の文書記録は1263年(弘長3)の棟札,1268年(文永5)の寄進状を最古とするが,平安後期にはかなり壮大な大寺院であったことは確実で,鎌倉時代以後太子信仰と天台系念仏によって衆庶の崇仰を集めた。1580年(天正8)豊臣秀吉は寺領200石を寄進,江戸時代の朱印地は117石であった。戦国期に真言宗になったが,1660年(万治3)天台宗に復帰して日光輪王寺末寺となり,西園寺家とも関係が深かった。幕末になお8ヵ院の塔頭(たつちゆう)があったが,明治になって多く廃絶し,現在は真光院,宝生院,浄心院だけである。
執筆者:

境内は南面する本堂(国宝,1397)と太子堂(国宝,1112)を中心に,重要文化財の常行堂(平安後期),行者堂(1406),鐘楼(1401),護摩堂(1563)などがある。本堂は桁行7間,梁間6間で,和様,禅宗様,大仏様の三つの様式を折衷した意匠になる。太子堂は一間四面前庇付の平面で平安時代末期の様式をもち,同時期の木造釈迦三尊を本尊とし,板壁に聖徳太子像などを描く。このほか《聖徳太子絵伝》8幅などの絵画,白鳳期の観音菩薩像(〈あいたた観音〉と俗称)などの彫刻,工芸品に重要文化財がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴林寺」の意味・わかりやすい解説

鶴林寺
かくりんじ

兵庫県加古川(かこがわ)市加古川町北在家(きたざいけ)にある天台宗の寺。刀田山聖霊院(とたさんしょうりょういん)と号する。通称刀田太子堂。「刀田の太子さん」「播磨(はりま)の法隆寺」といわれる。6世紀なかば、高句麗(こうくり)の僧恵便(えびん)が排仏の難を逃れてこの地に住していたところ、恵便の弟子聖徳太子がそれを聞いて開創、のち秦河勝(はたのかわかつ)に命じて堂を建立したのに始まるという。また、太子がこの地で百済(くだら)の日羅(にちら)と会い、その帰国を遮って刀を立てたことから刀田山というと伝える。奈良時代には法隆寺に属し、761年(天平宝字5)の『法隆寺縁起資財帳』に講法花経料として載る賀古郡一百町はこの地であるという。835年(承和2)円仁(えんにん)(慈覚(じかく)大師)が入唐(にっとう)に際し諸堂を修理して以来、天台宗となり、鳥羽(とば)天皇の勅願所となった。太子堂は様式上平安末期の建立、本堂は室町時代の建造で、いずれも国宝に指定されている。ほかに鐘楼、護摩(ごま)堂、行者堂、常行堂があり、絹本着色聖徳太子絵伝8幅、銅造聖観音(しょうかんのん)立像、木造釈迦(しゃか)三尊像などとともに国の重要文化財に指定されている。

[田村晃祐]

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百科事典マイペディア 「鶴林寺」の意味・わかりやすい解説

鶴林寺【かくりんじ】

兵庫県加古川市加古川町にある天台宗の寺。本尊薬師如来。聖徳太子の開基と伝え刀田の太子と俗称され,太子信仰で知られる。1112年に建立された宝形造の太子堂(国宝),1397年ころ建立の本堂(もと講堂)その他平安末から室町時代にかけての遺構がそろっている。国宝の本堂は折衷様建築の代表とされる。ほかに白鳳(はくほう)期の作とされる銅造の観音菩薩立像,朝鮮鐘で名高い銅鐘など美術品も多い。
→関連項目加古川[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴林寺」の意味・わかりやすい解説

鶴林寺
かくりんじ

兵庫県加古川市にある天台宗の寺。聖徳太子の開基と伝えられる。白鳳時代の仏像,平安時代末期から中世にかけての建築,彫刻,絵画の遺品を蔵している。太子堂はもと法華堂で,天永3 (1112) 年の建築当時の壁画を残す。本堂は応永4 (1397) 年の造立で折衷様の代表作とされ,ともに国宝。ほかに常行堂,鐘楼,護摩堂,行者堂,三重塔などがあり,多くは重要文化財。寺の周辺は鶴林寺公園として美観を呈する。

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デジタル大辞泉プラス 「鶴林寺」の解説

鶴林寺〔徳島県〕

徳島県勝浦郡勝浦町にある寺院。空海による創建と伝わる。宗派は高野山真言宗。鷲が尾(標高約550m)の山頂に位置し、急傾斜の参道は「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつ。本尊の木造地蔵菩薩立像は国の重要文化財に指定。四国八十八ヶ所霊場第20番札所。

鶴林寺〔兵庫県〕

兵庫県加古川市にある寺院。天台宗。山号は刀田(とた)山、院号は聖霊院。聖徳太子の開基と伝わる。本尊は薬師如来。国宝の本堂、太子堂ほか、数多くの文化財を保有。地元では「刀田の太子さん」とも呼ばれる。

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事典・日本の観光資源 「鶴林寺」の解説

鶴林寺(第20番)

(徳島県勝浦郡勝浦町)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

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