日本歴史地名大系 「利弘村」の解説 利弘村としひろむら 島根県:安来市利弘村[現在地名]安来市利弘町飯生(いなり)村の東に位置し、南は独松(どくしよう)山、清水(きよみず)山(一〇七・四メートル)などの山地。築山(つきやま)土壙墓群(五基)があり、弥生土器・土師器を出土している。また西宮谷(にしみやだに)横穴墓群(一二穴)をはじめ東宮谷・古寺谷(ふるでらだに)・金堀谷(かなほりだに)・御崎谷(みさきだに)・築山にも横穴墓群がある。中世には一帯に利弘庄が成立していた。正保国絵図に村名がみえ、慶安四年(一六五一)の検地帳によると、上々田五町七反余・分米九一石余(一石六斗代)、上田一三町余・一九五石余(一石五斗代)、中田一五町一反余・一九六石余(一石三斗代)、下田一四町六反余・一六一石余(一石一斗代)、下々田一〇町五反余・八四石余(八斗代)、上畑一町三反余・一一石余(九斗代)、中畑一町二反余・八石余(七斗代)、下畑一町五反余・七石余(五斗代)、下々畑二町三反余・七石余(三斗代)、田畑計六五町六反余・七六五石余、屋敷数二四(うち御役目屋敷一六)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by