白鳳時代(読み)ハクホウジダイ

デジタル大辞泉 「白鳳時代」の意味・読み・例文・類語

はくほう‐じだい【白×鳳時代】

日本文化史、特に美術史上の時代区分の一。飛鳥時代天平時代の間の、7世紀後半から8世紀初めまでをさす。

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精選版 日本国語大辞典 「白鳳時代」の意味・読み・例文・類語

はくほう‐じだい【白鳳時代】

  1. 美術史上の時代区分の一つ。飛鳥時代と天平時代とにはさまれる、大化元年(六四五)から和銅三年(七一〇)の平城京遷都まで。前期には飛鳥時代の様式も残しているが、早く中国北斉・北周影響が見られ、後期に至ると、隋・唐の影響、さらに唐を通じてのインドの影響もあらわれ、多彩な様相を示した。薬師寺金堂の薬師三尊像にみられる豊満彫刻や、焼失した法隆寺壁画などに、その様式が認められる。

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百科事典マイペディア 「白鳳時代」の意味・わかりやすい解説

白鳳時代【はくほうじだい】

広義飛鳥時代のうち,7世紀後半の大化改新から8世紀初めの平城京遷都までをさす美術史上の時代。奈良時代にこの時代を白鳳朱雀(すざく)と呼んだのに基づく。白鳳は白雉(はくち)(650年―654年),朱雀は朱鳥(しゅちょう)(686年)という年号の美称。政治史からは壬申(じんしん)の乱(672年)を境に2期に区分できる。前期は中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)や藤原鎌足(かまたり)らが指導して中央集権国家のおよその枠(わく)組を定めた時期で,初期律令制の時代とも呼ばれる。後期は壬申の乱での活躍によって神と仰がれた天武・持統両天皇の権威のもとに,戸籍班田収授法による個別人身支配が始まり,本格的な律令国家が形成された時期。造形美術では前期が法隆寺の四天王像や御物(ぎょぶつ)の四十八体仏など,飛鳥時代と変わらないのに対し,後期は興福寺の仏頭や薬師寺本尊など,初唐文化の影響を受けて天平(てんぴょう)時代に続く作風が興る。→律令制度
→関連項目善通寺

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白鳳時代」の意味・わかりやすい解説

白鳳時代
はくほうじだい

文化史上の時代区分。狭義では天武~持統朝 (673~697) から平城京遷都 (710) までの約 40年間をいい,広義には大化改新 (645) から平城京遷都までの約 60年間で,飛鳥時代と奈良時代との中間をさし,壬申の乱 (672) を境に前期,後期に分ける。白鳳は私年号であり,正式に朝廷で定められた年号ではない。私年号の白鳳が用いられたとされる時期は,孝徳~斉明朝と天武朝,持統朝とであるが,当時の正史である『日本書紀』にはみえない。したがって天武朝,持統朝を白鳳の名称で呼ぶことは適当でないが,白鳳の語感のよい点から,初め美術史で用いられたものが,文化史に,さらには政治史に用いられるようになった。しかし白鳳を一時代とすることを否定する学者もいる。 (→白鳳文化 )  

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世界大百科事典(旧版)内の白鳳時代の言及

【飛鳥時代】より

…ただし後期を壬申の乱以前と,天武朝以後にさらに区分し,またもし前期に6世紀中ごろの宣化・欽明朝までを含めるならば,やはり前期も推古朝以前と以後に区分するのが適当であろう。なお後期の天武・持統朝を中心とする時期を白鳳時代といい,前期の狭義の飛鳥時代と,次の天平時代に対応させる区分法が美術史などの分野で行われている。
[政治過程]
 欽明朝に任那(みまな)が滅亡し,大伴金村が失脚して,伴造(とものみやつこ)の雄族大伴氏が没落し,やはり伴造系豪族である物部氏の大連(おおむらじ)物部尾輿と,在地系豪族蘇我氏の大臣(おおおみ)蘇我稲目が相並んで政治を主導する。…

※「白鳳時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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