刺賀村(読み)さつかむら

日本歴史地名大系 「刺賀村」の解説

刺賀村
さつかむら

[現在地名]大田市久手町刺鹿くてちようさつか

鳥越とりごえ村の東に位置し、東は波根西はねにし村、北は日本海に臨む。大原おおはら川が北流し波根湖に注ぐ。村名は刺鹿神社が鎮座することに由来する。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「さすか 十八丁二反六十卜」とみえる。永享一二年(一四四〇)九月一〇日の石州諸郡段銭注文(益田家文書)によれば「(刺カ)賀 公田拾三町五段」に段銭が賦課されていた。天文二二年(一五五三)四月五日大内義長は刺賀長信に対し刺賀郷五〇〇貫の地を安堵しており(「大内義長袖判知行宛行状」閥閲録)、長信は銀山山吹やまぶき城の守備にあたっていた。永禄元年(一五五八)毛利軍は別府べつぷ(現邑智町)忍原おしはら大敗を喫した結果、山吹城への補給路が絶たれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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