前波村(読み)まえなみむら

日本歴史地名大系 「前波村」の解説

前波村
まえなみむら

[現在地名]穴水町前波

内浦街道に沿い、北は宇加川うかがわ村、南西沖波おきなみ村。天正一一年(一五八三)諸橋村検地帳(諸橋文書)によると、前波・宇加川・沖波村は諸橋もろはし村に含まれていた。慶長七年(一六〇二)の鵜川天神堂奉加札(能都町菅原神社蔵)に「壱俵五升 米 まへなミ惣中」とみえる。元和二年(一六一六)と同六年の総検地で単一の村となる。同三年の諸橋三ヵ村検地帳(諸橋文書)では「まへなミ村」として、屋敷あさはた五反余・田方一三町五反余・畑方四町六反余のほかおあん分一町六反余がみえる。正保郷帳では高四〇〇石余、田方一七町七反余・畑方九町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(諸谷文書)では高四二五石、免五ツ、小物成は山役二五七匁、鳥役一匁(出来)・猟船櫂役三〇匁(ほか三〇匁退転)、網役八七匁・鱈役二匁。

前波村
まえなみむら

[現在地名]可児市中恵土なかえど

上野うえの村の西、可児川北岸にある。北境を中山道が通る。長享元年(一四八七)一二月一二日の青蓮院領荏戸上郷年貢目録写(華頂要略)に「前なミ村」とみえ、京都青蓮しようれん院に納めるべき年貢が書上げられている。慶長郷帳などには(荏)上下と一括される。徳野藩領。岩瀬文庫本正保郷帳では上江渡かみえど村七八七石余のうち。承応二年(一六五三)以後幕府領。元禄郷帳に村名がみえる。文化七年(一八一〇)の村明細帳によれば田一二町二反余・畑一二町六反余、新田高計一〇石余、田八畝余・畑一町四反余。

前波村
まえばむら

[現在地名]福井市前波町

高尾たかお村の南にあり、足羽川右岸に沿う。背後には山が迫り、川を隔てて一乗谷の安波賀あばが村・中島なかじま村に対する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では北宇坂きたうさか(下)郷に含まれる。村名は正保郷帳にみえ、田方七〇石余・畠方八二石余。福井藩領。当村は朝倉家譜代の家臣前波氏の出身地と考えられ、「越前国城蹟考」は前波九郎兵衛吉継の館跡を載せる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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