(河村昭一)
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戦国大名。初め延景(のぶかげ)。1552年(天文21)将軍義藤(後の義輝(よしてる))の諱(いみな)を受け義景と改める。1555年加賀に出兵したのをはじめ、しばしば加賀一向一揆(いっこういっき)と戦うも勝負を決せず。1565年(永禄8)、足利(あしかが)義輝が松永久秀(ひさひで)に殺されると、その弟義秋(元服して義昭(よしあき))を一乗谷(いちじょうだに)に迎えたが、彼を奉じて上洛(じょうらく)することなく、かえって、1568年義昭を擁して上洛した織田信長の攻撃にさらされる。以後浅井長政(ながまさ)、武田信玄(しんげん)、本願寺などと同盟を結び、1570年(元亀1)から1573年(天正1)までの4年間、姉川の戦いをはじめ、よく信長と戦うが、天正(てんしょう)元年8月刀祢(とね)坂(福井県敦賀(つるが)市刀根(とね))の戦いに敗れ、同20日越前(えちぜん)大野で自刃した。
信長との対決以前よく領国を統治し、1562年(永禄5)城下で曲水(きょくすい)宴を催し、また義昭を迎えて詩歌の宴を張るなど文化的活動も顕著で、自身も詩歌、画、禅に通じていたが、戦国争乱の激化するなかで新たな領国政策を展開できないまま、守旧的な姿勢のなかに滅亡した。福井市心月(しんげつ)寺に残る画像(国指定重要文化財)は、政治家、武将としてのたくましさよりも、繊細な面もちを伝えている。
[水藤 真]
『水藤真著『朝倉義景』(1981・吉川弘文館)』
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越前の戦国大名。孝景の子,母は隣国若狭武田氏の娘。1548年父孝景の死により16歳で領国支配を受け継ぐ。はじめ孫次郎延景,52年,将軍足利義輝の偏諱(へんき)を受け左衛門督義景と名のる。当初,越後の上杉謙信と攻守同盟を結び,加賀一向一揆の挟撃をもくろみ,何度も加賀に出陣。65年(永禄8)将軍義輝が松永久秀に殺されると,弟の義昭を一乗谷に迎え入れ,松永と対抗。しかし義昭を奉じて上洛する意志がないため,68年,義昭は織田信長とともに上洛。以後,信長の天下統一のための最初の攻撃目標となる。本願寺教如に娘を嫁してこれと結び,浅井長政,武田信玄らと反信長勢力を形成。天筒山の合戦,姉川の戦など再三信長と矛を交えたが,73年8月,刀禰坂の合戦に敗れ,大野六坊賢松寺で自刃した。法名松雲院殿太球宗光。なおその城下一乗谷は特別史跡として史跡公園になっている。
執筆者:水藤 真
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1533.9.24~73.8.20
越前国一乗谷(いちじょうだに)(現,福井市)を本拠とした戦国大名。孝景の子,母は若狭国武田氏の女。初名延景。孫次郎。左衛門督。法名松雲院大球宗光。1552年(天文21)将軍足利義輝の1字をうけて義景と改名。65年(永禄8)義輝が殺害されると,その弟一乗院覚慶(のち義昭)は義景を頼って越前に下った。68年元服した義昭は,上洛を願うが義景が応じなかったため,織田信長を頼って上洛をはたす。信長は70年(元亀元)4月,越前国敦賀に侵攻。義景は浅井長政と結んで信長をいったんは撤退させたものの,6月に信長と徳川家康の連合軍に近江国姉川で敗れた。73年(天正元)義景は信長を討つため出兵したが大敗。追撃され,一乗谷に火を放ったのち越前国大野郡(現,大野市)の賢松寺で自害。
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…越前の戦国大名。はじめ日下部氏。平安末期,但馬国養父郡朝倉に住し,朝倉氏を称した。南北朝時代,広景が足利方の斯波高経に従い越前に転戦し,坂井郡黒丸に住す。代々守護斯波氏の重臣として,中野,松尾,阿波賀,向,三段崎,東郷,中島,北庄,鳥羽の支族を分出。敏景(孝景)のとき,応仁の乱および主家斯波氏の内紛に乗じ,1471年(文明3)越前一国を領し,一乗谷に城を築く。《朝倉孝景条々》は戦国家法として有名。孫の貞景は一向一揆および同族争いを鎮め領国支配を確立。…
…旧国名。北陸道に属する大国(《延喜式》)。現在の福井県のうち南西部の旧若狭国を除いた北東部を占める。
【古代】
北陸地方は古くは越(こし)(高志)とよばれ,越前に当たる地域には角鹿(つぬが)国造,三国国造がいた。越は蝦夷経営の前進基地としての政治的役割をもち,589年に阿倍臣を北陸道に遣わし越等の諸国の境を視察させている。また658年(斉明4)および660年,越国守阿倍比羅夫が粛慎(みしはせ)を討っているのも,越の位置づけを物語る(なお,658年は誤りとする説もある)。…
※「朝倉義景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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