前田 利同
マエダ トシアツ
- 肩書
- 富山藩知事
- 別名
- 幼名=茂松 字=稠松
- 生年月日
- 安政3年6月27日(1856年)
- 出生地
- 江戸加賀藩邸
- 経歴
- 加賀藩主の家に生まれ、富山藩主の養子となり、安政6年13代目藩主をつぐ。戊辰戦争では新政府に従って越後に派兵し、戦功により従4位下侍従に叙任。明治2年版籍奉還で富山藩知事となり、4年廃藩置県により免職となった。ロンドン、パリに留学後、外務省に入り、のち宮中顧問官、17年伯爵となった。
- 没年月日
- 大正10年12月23日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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前田利同 まえだ-としあつ
1856-1921 幕末-大正時代の大名,華族。
安政3年6月27日生まれ。加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)の9男。前田利声(としかた)の養子となり,安政6年4歳で越中富山藩主前田家13代。戊辰(ぼしん)戦争では新政府について越後に派兵。明治4年パリ,ロンドンに留学。外務省につとめ,のち宮中顧問官。伯爵。大正10年12月23日死去。66歳。通称は稠松。号は渉園。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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