前貝塚村(読み)まえかいづかむら

日本歴史地名大系 「前貝塚村」の解説

前貝塚村
まえかいづかむら

[現在地名]船橋市前貝塚町・旭町あさひちよう六丁目

行田ぎようだ新田北東に位置する。慶長一一年(一六〇六)の護代帳(寛永期の加筆あり、中山法華経寺文書)に「貝塚 八郎衛門」とみえる。慶安期(一六四八―五二)とみられる高城胤忠旧知行高付帳に「かい塚村」とみえるが、戦国期に同氏の勢力下であったかどうかは未詳。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に前貝塚とある。元禄一五年(一七〇二)検地帳奥書抜(塚田村誌)によると、田二一町余・高九一石余、畑一四町五反余・高五三石余、屋敷五反余・高四石余で、屋敷は二五筆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む