…初めは役者の容色,姿態を品評するだけであったが,しだいに技芸評に重点がおかれるようになり,《役者口三味線(くちざみせん)》(1699∥元禄12)にいたって新しく合評形式を確立した。明治以後,新聞や演劇雑誌の発達にともない,それを基盤に専門の劇評家が生まれ,劇評の近代化への努力が続けられた。【権藤 芳一】
[西欧と近代以降の日本]
西欧での演劇批評はギリシア悲劇に対するアリストテレスの《詩学》にその萌芽をみる。…
※「劇評家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」