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功子内親王 こうしないしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

功子内親王 こうしないしんのう

1176-? 平安時代後期,高倉天皇の第1皇女。
安元2年3月30日生まれ。母は右近衛(うこんえの)少将藤原公重(きんしげ)の娘。治承元年2歳で内親王となり,伊勢斎宮(さいぐう)にさだめられる。翌年野宮(ののみや)にはいったが,3年母の喪にあい,伊勢へおもむく前に斎宮をしりぞいた。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

功子内親王

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:安元2(1176)
平安末期の伊勢斎宮。高倉天皇の第1皇女。母は高倉の乳母だった右少将藤原公重の娘帥局(輔局ともみえる)。治承1(1177)年10月斎宮に卜定され,内親王となる。同3年正月,母が死亡し野宮を退出。伊勢に赴くことなく斎宮の座を下りた。秋山喜代子麹屋 伝兵衛こうじや・でんべえ生年不詳~天明5(1785)天明5(1785)年山城(京都府)伏見町民一揆の指導者のひとり。安永8(1779)年伏見奉行に着任した近江小室藩主小堀政方は,窮迫した藩財政の立て直しや自己の奢侈のために伏見町民に重税を課した。伝兵衛は文珠九助らとともに江戸に出て,小堀の暴政を幕府に訴える企てに加った。訴えは成功し小堀は罷免されたが,伝兵衛自身は出訴の前に病死した。<参考文献>『雨中之鑵子』(『日本庶民生活史料集成』6巻)

(吉沢敬)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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