斎宮(読み)さいぐう

精選版 日本国語大辞典 「斎宮」の意味・読み・例文・類語

さい‐ぐう【斎宮】

〘名〙
伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王(皇女・女王)。天皇の即位の初めごとに一人が選ばれて、三年の精進潔斎ののち、伊勢に下向した。天皇の死去・譲位によって交替するのを原則としたが、父母の喪などによって解職することもあった。崇神天皇の時に始まると伝えられ、鎌倉末期の後醍醐天皇の時代に廃止された。斎内親王、略して斎王(さいおう)。いつきのみや。いつきのみこ。
※続日本紀‐文武二年(698)九月丁卯「遣当耆皇女于伊勢斎宮
※源氏(1001‐14頃)葵「まことや、かの六条の御息所の御腹(はら)の前坊の姫君さい宮にゐ給ひにしかば」
② ①の居住するところ。斎王の御所。斎宮寮の内院。
伊勢物語(10C前)七一「昔、をとこ、伊勢の斎宮に、内の御使にて参れりければ」
山家集(12C後)下「伊勢に斎王おはしまさで年経にけり。斎宮、木立ばかりさかと見えて、築垣もなきやうになりたりけるを見て」
[語誌](1)斎王については、崇神天皇六年に、天皇と同殿の内に天照御神を奉祀するのを憚り、皇女豊鍬入姫命に託して、大和の笠縫邑に祭ったのを起源とするという。ついで垂仁天皇の二五年に皇女倭姫命が豊鍬入姫命に替わり、天照御神の教えによって、伊勢国度会郡五十鈴川のほとりに、斎宮を建てたとする。
(2)制度的に整備されたのは天武天皇の頃からと見られ、斎王の居所としての斎宮が多気の地に定まったのもこの頃かと思われる。

いつき‐の‐みや【斎宮】

〘名〙
天神(あまつかみ)をまつる宮殿。
(イ) 天皇が神事を行なうための宮殿。天皇は、この中にこもり潔斎した。いわいのみや。いみのみや。
(ロ) 大嘗祭(だいじょうさい)のとき、悠紀(ゆき)、主基(すき)の祭場となる宮殿。
※続日本紀‐神亀元年(724)一一月己卯「従七位上榎井朝臣大嶋等率内物部、立神楯於斎宮南北二門
(ハ) 特に、伊勢神宮をいう。
万葉(8C後)二・一九九「渡会(わたらひ)の斎宮(いつきのみや)ゆ」
② 伊勢神宮、または賀茂神社に奉仕する「いつきのみこ(斎皇女)」の居所。また、「いつきのみこ」が赴任する前に斎戒のため忌みこもる宮殿。野の宮。いわいのみや。さいぐう。
※伊勢物語(10C前)七〇「いつきの宮のわらはべにいひかけける」
大鏡(12C前)三「いつきの宮よにおほくおはしませど」

いわい‐の‐みや いはひ‥【斎宮】

書紀(720)垂仁二五年三月(寛文版訓)「故、大神の教(をしへ)の随(まにま)に其の祠を伊勢国に立たまふ。因て斎宮(イハヒノミヤ)を五十鈴の川上に興(た)つ」

いみ‐みや【斎宮】

〘名〙 「さいぐう(斎宮)」の異称。いつきのみや。いわみや。〔藻塩草(1513頃)〕

いつき【斎宮】

姓氏の一つ

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デジタル大辞泉 「斎宮」の意味・読み・例文・類語

いつき‐の‐みや【斎宮】

皇大神を祭る宮。特に、伊勢神宮をいう。
大嘗祭だいじょうさいの時に、悠紀ゆき主基すきの祭場となる宮殿。
斎皇女いつきのみこの居所。また、斎皇女が赴任する前に斎戒のためにこもる宮殿。野の宮。いわいのみや。
斎皇女いつきのみこ

さい‐ぐう【斎宮】

天皇の即位ごとに選ばれて伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王または女王崇神すじん天皇の代に始まるとされ、後醍醐天皇の代まで続いた。いつきのみや。いつきのみこ。いみみや。→斎院

いみ‐みや【斎宮】

さいぐう(斎宮)

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改訂新版 世界大百科事典 「斎宮」の意味・わかりやすい解説

斎宮 (さいぐう)

古代・中世において代々の天皇の即位ごとに,天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢に派遣された斎王と,その宮殿官衙施設をいう。〈いつきのみや〉ともいった。その起源は記紀の伝承に始まるが,制度的な確立は7世紀後半の天武朝のころとされる。斎王は未婚の内親王,あるいは女王のなかから占で定められ,平安朝では雅楽寮,宮内省,主殿寮など宮内の便宜的な場所を初斎院として沐浴斎戒に入り,翌年8月には宮外に新造された野宮(ののみや)に移り,潔斎を重ねる。野宮は洛西に置かれたようで,《源氏物語》賢木巻の舞台ともなる。嵯峨野の野々宮神社は,ある時期の野宮の跡という。野宮入りの翌年9月,天皇と永別のたてまえで伊勢に向かう。飛鳥・奈良朝の経路は不明だが,平安朝では長奉送使以下の官人に付き添われ,近江国府,甲賀,垂水,鈴鹿,壱志の各頓宮を経て,伊勢国多気郡の斎宮に入る。この5泊6日の旅程は群行と称し,南北朝期に斎王制が自然消滅するまで,大伯皇女から数えれば64名の斎王が卜定され,49名が伊勢に派遣された。

 斎王は伊勢神宮の三節祭である6月と12月の月次祭,9月の神嘗祭の年3回,斎宮から度会郡の離宮院に移り,神宮の祭祀に加わる。神宮への距離的便宜のため,824年(天長1)から839年(承和6)の間,この離宮院に斎宮が移転したこともある。斎宮ではさまざまな祭祀のほか,宮廷とほぼ同様な年中行事がある。《大和物語》では〈竹の都〉と称し,《伊勢物語》狩の使段の舞台になり,1040年(長久1),1083年(永保3),1116年(永久4),1123年(保安4)の歌合は,国文学史上,著名である。斎宮の退下は天皇が没したり譲位することによるのを原則としたが,父母の喪,疾病,過失などにもよった。

 斎王には五位官の命婦と女孺,乳母など四十数名の女官がつく。群行の直前に開設される斎宮寮は,当初,斎宮司であったが,701年(大宝1)に寮に準ぜられ,728年(神亀5)には従五位官の頭以下,助,大允,少允,大属,少属各1と使部10の計16名による寮と,従七位官の中臣以下の主神司をはじめ,舎人,蔵部,膳部,炊部,酒部,水部,采部,殿部,薬部,掃部の計11司91名,寮司あわせて107名の定員が定められ,平安朝では門部,馬部の2司が加えられた。斎宮の財政運営は《延喜式》によれば正税をはじめ東海・東山両道諸国から貢納される調庸雑物に依拠し,律令財政機構そのものであった。

 斎宮は,内,中,外の3院に区分され,内院は斎王の居所で,神殿,寝殿,出居殿,御汗殿,御匣殿などと遣水,池などをそなえた寝殿造形式で,中院と外院には寮頭館,官舎,諸司雑舎,寮庫などがあった。その造営と修理は,奈良朝では造斎宮長官が派遣され,正税によっていたが,平安朝以降では神祇官官僚大中臣氏の成功,重任,栄爵によって造進された。平安朝中ごろには殿舎の荒廃がみられ,末期には築垣もなくなる。1272年(文永9)の愷子内親王の退下以後,斎王の卜定はあったが,伊勢への着任はなかった。
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斎宮 (いつきのみや)

斎宮(さいぐう)

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普及版 字通 「斎宮」の読み・字形・画数・意味

【斎宮】さいきゆう

天子のものいみする所。〔国語、周語上〕(千畝の礼)時に先だつこと五日、瞽(こ)、協風の至るるをぐ。王、齋宮に(つ)き、百官事、各其の齋にくこと三日。王乃ち淳(きゃうれい)す。

字通「斎」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「斎宮」の意味・わかりやすい解説

斎宮【さいぐう】

斎内親王,斎王,御杖代(みつえしろ)とも。伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女または女王。その宮殿施設をもいう。崇神(すじん)天皇の時,豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命をして大和笠縫(かさぬい)邑に神鏡を遷祭せしめたのに端を発し,伊勢へは垂仁(すいにん)天皇の妹倭姫(やまとひめ)命に始まるという。天照大神の御杖代として大祭に仕え,ときに託宣した。その制度は《延喜式(えんぎしき)》に詳しい。後醍醐(ごだいご)天皇の祥子内親王以後廃絶した。
→関連項目斎院曾禰荘頓宮

斎宮【いつきのみや】

斎宮(さいぐう)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「斎宮」の解説

斎宮
さいぐう

「いつきのみや」とも。古代~中世に天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王・女王。本来の職名は斎王(さいおう)で,斎宮はその居所をさしたが,転じて斎王自身をさす語ともなった。伝承上の起源は垂仁朝の倭姫命(やまとひめのみこと)だが,制度が整備されたのは天武朝の大伯(おおく)皇女からで,天皇の代替りや父母の喪によって交替することとされた。卜定(ぼくじょう)されると宮中の初斎院(しょさいいん),つづいて嵯峨野の野宮(ののみや)で約2年間潔斎し,その後監送使や斎宮寮官人・女官らを従えて伊勢に群行した。平常は多気の斎王宮(斎宮)にいて,斎宮忌詞(いみことば)を用いるなど仏事や不浄をさけて潔斎に努め,伊勢神宮の三節祭(6月・12月の月次(つきなみ)祭と9月の神嘗(かんなめ)祭)には神宮に赴いて太玉串(ふとたまぐし)を奉じた。後醍醐天皇の祥子内親王で中絶した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斎宮」の意味・わかりやすい解説

斎宮
さいくう

三重県東部,明和町中部の地区。旧村名。かつて伊勢神宮の祭祀に際し,宮中から派遣された未婚の内親王や斎王の居館で,神宮の事務諸般を司った斎王宮がおかれたところで,地名もこれに由来。斎王宮の創設は奈良時代といわれ,後醍醐天皇のときまで約 600年間存続したが,正確な所在地は長い間不明で,幻の都といわれていた。 1973年以来の発掘により,その範囲は 160haにも及ぶことが明らかとなり,多くの貴重な遺物も発見された。 78年斎宮跡の全域を史跡に指定。

斎宮
さいぐう

伊勢神宮の祭神に仕える未婚の皇女または王女。斎王,御杖代 (みつえしろ) ,「いつきのみや」ともいう。崇神天皇の代,皇女トヨスキイリヒメノミコトが大和笠縫邑にアマテラスオオミカミを祀ったのに始る。天皇の即位ごとに新任された。 75代続き,後醍醐天皇の皇女祥子内親王を最後として,以後廃絶した。

斎宮
さいぐう

斎宮」のページをご覧ください。

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旺文社日本史事典 三訂版 「斎宮」の解説

斎宮
さいぐう

伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女または王女
「いつきのみや」とも読む。崇神天皇の皇女豊鋤入姫 (とよすきいりひめ) 命に始まるという。7世紀後半の天武朝以来この制度が確立し,天皇の代わるたびに斎宮も代わった。14世紀前半の後醍醐 (ごだいご) 天皇の皇女祥子内親王まで75代続き,以後廃絶した。

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世界大百科事典(旧版)内の斎宮の言及

【斎宮】より

…野宮入りの翌年9月,天皇と永別のたてまえで伊勢に向かう。飛鳥・奈良朝の経路は不明だが,平安朝では長奉送使以下の官人に付き添われ,近江国府,甲賀,垂水,鈴鹿,壱志の各頓宮を経て,伊勢国多気郡の斎宮に入る。この5泊6日の旅程は群行と称し,南北朝期に斎王制が自然消滅するまで,大伯皇女から数えれば64名の斎王が卜定され,49名が伊勢に派遣された。…

【巫女∥神子】より

…鈴振り神子,湯立神子,神楽神子とも称される。これにもローカルタームがあって,宮中の神事に奉仕した御巫(みかんこ),伊勢神宮の斎宮(いつきのみや),賀茂神社の斎院またはアレオトメ,熱田神宮の惣の市(そうのいち),鹿島神宮の物忌(ものいみ),厳島神社の内侍(ないし),美保神社の市(いち)などが著名である。けれども現在では,本来の神がかり現象を示すものはほとんどみられない。…

【倭姫命】より

…ヒメは景行朝まで伊勢神宮にあり,ヤマトタケルの西征東征にあたり,あれこれと助力する。 上述の神宮起源の話は斎宮の起源譚でもある。神宮成立とともに天皇家の祖神アマテラスに仕えるために選ばれた未婚の皇女ヤマトヒメは,神話的な初代斎宮にほかならない。…

【行宮】より

…また南北朝時代に,南朝方の後醍醐天皇以下4代の天皇の居処である吉野,天野,賀名生(あのう)なども,一般に行宮といっているが,これは南朝方が,名分上,地方行幸という形式をとったことによる。なお天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎宮が,京より伊勢国に下向する間の宿泊施設をも〈頓宮〉という。これは斎宮が神宮奉斎の点で,天皇の代理という性格を持っていたからであろう。…

【崇神天皇】より

…《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは《古事記》に〈伊勢大神を拝(いつ)き祭る〉と記され,初代の斎宮(さいぐう)であるという。このことは,天照大神の霊威が狭い宮廷の枠を超えて国家的な普遍性をもったことを意味し,王権の原始的形態に特徴的にみられる祭政の癒着が廃されて,天皇の政治力に宗教からの相対的な独立性と展開力とをもたらしたのである。…

※「斎宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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