斎宮(読み)さいくう

  • ▽斎宮
  • いつき
  • いつきのみや
  • いみみや
  • いわいのみや
  • いわいのみや いはひ‥
  • さいぐう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三重県東部,明和町中部の地区。旧村名。かつて伊勢神宮祭祀に際し,宮中から派遣された未婚内親王斎王の居館で,神宮の事務諸般を司った斎王宮がおかれたところで,地名もこれに由来。斎王宮の創設は奈良時代といわれ,後醍醐天皇のときまで約 600年間存続したが,正確な所在地は長い間不明で,の都といわれていた。 1973年以来の発掘により,その範囲は 160haにも及ぶことが明らかとなり,多くの貴重な遺物も発見された。 78年斎宮跡の全域史跡に指定。
伊勢神宮祭神仕える未婚の皇女または王女。斎王,御杖代 (みつえしろ) ,「いつきのみや」ともいう。崇神天皇の代,皇女トヨスキイリヒメノミコトが大和笠縫邑にアマテラスオオミカミを祀ったのに始る。天皇の即位ごとに新任された。 75代続き,後醍醐天皇の皇女祥子内親王を最後として,以後廃絶した。

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デジタル大辞泉の解説

皇大神を祭る宮。特に、伊勢神宮をいう。
大嘗祭(だいじょうさい)の時に、悠紀(ゆき)主基(すき)の祭場となる宮殿。
斎皇女(いつきのみこ)居所。また、斎皇女が赴任する前に斎戒のためにこもる宮殿。野の宮。いわいのみや。
斎皇女(いつきのみこ)
天皇の即位ごとに選ばれて伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王または女王崇神(すじん)天皇の代に始まるとされ、後醍醐天皇の代まで続いた。いつきのみや。いつきのみこ。いみみや。→斎院

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百科事典マイペディアの解説

斎内親王,斎王,御杖代(みつえしろ)とも。伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女または女王。その宮殿施設をもいう。崇神(すじん)天皇の時,豊鍬入姫(とよすきいりひめ)をして大和笠縫(かさぬい)邑に神鏡を遷祭せしめたのに端を発し,伊勢へは垂仁(すいにん)天皇の妹倭姫(やまとひめ)命に始まるという。天照大神の御杖代として大祭に仕え,ときに託宣した。その制度は《延喜式(えんぎしき)》に詳しい。後醍醐(ごだいご)天皇の祥子内親王以後廃絶した。
→関連項目斎院曾禰荘頓宮
斎宮(さいぐう)

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世界大百科事典 第2版の解説

古代・中世において代々の天皇の即位ごとに,天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢に派遣された斎王と,その宮殿官衙施設をいう。〈いつきのみや〉ともいった。その起源は記紀の伝承に始まるが,制度的な確立は7世紀後半の天武朝のころとされる。斎王は未婚の内親王,あるいは女王のなかから占で定められ,平安朝では雅楽寮宮内省主殿寮など宮内の便宜的な場所を初斎院として沐浴斎戒に入り,翌年8月には宮外に新造された野宮(ののみや)に移り,潔斎を重ねる。

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大辞林 第三版の解説

斎王いつきのみこの居所。また、その忌みこもる御殿。
神をまつる場所。特に伊勢神宮。 度会わたらいの-ゆ神風にい吹き惑はし/万葉集 199
大嘗祭だいじようさいの悠紀ゆき殿・主基すき殿。
さいぐう斎宮
いつきのみやに同じ。 -を五十鈴の川上に興つ/日本書紀 垂仁訓
天皇の名代として伊勢神宮に遣わされた皇女。また、その居所。天皇が即位すると未婚の内親王または女王から選ばれ、原則として譲位まで仕えた。一四世紀の後醍醐天皇の代まで続いた。斎王。いつきのみや。いみみや。

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精選版 日本国語大辞典の解説

姓氏の一つ。
〘名〙
① 天神(あまつかみ)をまつる宮殿。
(イ) 天皇が神事を行なうための宮殿。天皇は、この中にこもり潔斎した。いわいのみや。いみのみや。
(ロ) 大嘗祭(だいじょうさい)のとき、悠紀(ゆき)、主基(すき)の祭場となる宮殿。
※続日本紀‐神亀元年(724)一一月己卯「従七位上榎井朝臣大嶋等率内物部、立神楯於斎宮南北二門
(ハ) 特に、伊勢神宮をいう。
※万葉(8C後)二・一九九「渡会(わたらひ)の斎宮(いつきのみや)ゆ」
② 伊勢神宮、または賀茂神社に奉仕する「いつきのみこ(斎皇女)」の居所。また、「いつきのみこ」が赴任する前に斎戒のため忌みこもる宮殿。野の宮。いわいのみや。さいぐう。
※伊勢物語(10C前)七〇「いつきの宮のわらはべにいひかけける」
※大鏡(12C前)三「いつきの宮よにおほくおはしませど」
〘名〙 「さいぐう(斎宮)」の異称。いつきのみや。いわみや。〔藻塩草(1513頃)〕
※書紀(720)垂仁二五年三月(寛文版訓)「故、大神の教(をしへ)の随(まにま)に其の祠を伊勢国に立たまふ。因て斎宮(イハヒノミヤ)を五十鈴の川上に興(た)つ」
〘名〙
① 伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王(皇女・女王)。天皇の即位の初めごとに一人が選ばれて、三年の精進潔斎ののち、伊勢に下向した。天皇の死去・譲位によって交替するのを原則としたが、父母の喪などによって解職することもあった。崇神天皇の時に始まると伝えられ、鎌倉末期の後醍醐天皇の時代に廃止された。斎内親王、略して斎王(さいおう)。いつきのみや。いつきのみこ。
※続日本紀‐文武二年(698)九月丁卯「遣当耆皇女于伊勢斎宮
※源氏(1001‐14頃)葵「まことや、かの六条の御息所の御腹(はら)の前坊の姫君さい宮にゐ給ひにしかば」
② ①の居住するところ。斎王の御所。斎宮寮の内院。
※伊勢物語(10C前)七一「昔、をとこ、伊勢の斎宮に、内の御使にて参れりければ」
※山家集(12C後)下「伊勢に斎王おはしまさで年経にけり。斎宮、木立ばかりさかと見えて、築垣もなきやうになりたりけるを見て」
[語誌](1)斎王については、崇神天皇六年に、天皇と同殿の内に天照御神を奉祀するのを憚り、皇女豊鍬入姫命に託して、大和の笠縫邑に祭ったのを起源とするという。ついで垂仁天皇の二五年に皇女倭姫命が豊鍬入姫命に替わり、天照御神の教えによって、伊勢国度会郡五十鈴川のほとりに、斎宮を建てたとする。
(2)制度的に整備されたのは天武天皇の頃からと見られ、斎王の居所としての斎宮が多気の地に定まったのもこの頃かと思われる。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女または王女
「いつきのみや」とも読む。崇神天皇の皇女豊鋤入姫 (とよすきいりひめ) 命に始まるという。7世紀後半の天武朝以来この制度が確立し,天皇の代わるたびに斎宮も代わった。14世紀前半の後醍醐 (ごだいご) 天皇の皇女祥子内親王まで75代続き,以後廃絶した。

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世界大百科事典内の斎宮の言及

【斎宮】より

…野宮入りの翌年9月,天皇と永別のたてまえで伊勢に向かう。飛鳥・奈良朝の経路は不明だが,平安朝では長奉送使以下の官人に付き添われ,近江国府,甲賀,垂水,鈴鹿,壱志の各頓宮を経て,伊勢国多気郡の斎宮に入る。この5泊6日の旅程は群行と称し,南北朝期に斎王制が自然消滅するまで,大伯皇女から数えれば64名の斎王が卜定され,49名が伊勢に派遣された。…

【巫女∥神子】より

…鈴振り神子,湯立神子,神楽神子とも称される。これにもローカルタームがあって,宮中の神事に奉仕した御巫(みかんこ),伊勢神宮の斎宮(いつきのみや),賀茂神社の斎院またはアレオトメ,熱田神宮の惣の市(そうのいち),鹿島神宮の物忌(ものいみ),厳島神社の内侍(ないし),美保神社の市(いち)などが著名である。けれども現在では,本来の神がかり現象を示すものはほとんどみられない。…

【倭姫命】より

…ヒメは景行朝まで伊勢神宮にあり,ヤマトタケルの西征東征にあたり,あれこれと助力する。 上述の神宮起源の話は斎宮の起源譚でもある。神宮成立とともに天皇家の祖神アマテラスに仕えるために選ばれた未婚の皇女ヤマトヒメは,神話的な初代斎宮にほかならない。…

【行宮】より

…また南北朝時代に,南朝方の後醍醐天皇以下4代の天皇の居処である吉野,天野,賀名生(あのう)なども,一般に行宮といっているが,これは南朝方が,名分上,地方行幸という形式をとったことによる。なお天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎宮が,京より伊勢国に下向する間の宿泊施設をも〈頓宮〉という。これは斎宮が神宮奉斎の点で,天皇の代理という性格を持っていたからであろう。…

【崇神天皇】より

…《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは《古事記》に〈伊勢大神を拝(いつ)き祭る〉と記され,初代の斎宮(さいぐう)であるという。このことは,天照大神の霊威が狭い宮廷の枠を超えて国家的な普遍性をもったことを意味し,王権の原始的形態に特徴的にみられる祭政の癒着が廃されて,天皇の政治力に宗教からの相対的な独立性と展開力とをもたらしたのである。…

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