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藤原信実 ふじわらの のぶざね

美術人名辞典の解説

藤原信実

鎌倉前・中期廷臣。隆信の子。左京権大夫・正四位下に至る。のち出家して寂西と号する。画・和歌を能くし、写実的な肖像画技法を父に学ぶ。また藤原定家に師事し歌人としても知られた。文永3年(1266)存。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐のぶざね〔ふぢはら‐〕【藤原信実】

[1176~1265ころ]鎌倉前・中期の宮廷画家・歌人。隆信の子。法名、寂西。似絵(にせえ)の技法を発展させ、「後鳥羽上皇像」「随身庭騎絵巻(ずいしんていきえまき)」「三十六歌仙絵巻」などの作者と伝えられる。また「今物語」の著者とされる。

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百科事典マイペディアの解説

藤原信実【ふじわらののぶざね】

鎌倉時代の宮廷画家藤原隆信の子,藤原定家の甥(おい)で,歌人としても名高い。似絵(にせえ)をはじめ写実的な絵画にすぐれ,肖像画家・記録画家として重用され,1218年清涼殿の宴の記録《中殿御会図》を描いた(模本現存)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原信実 ふじわらの-のぶざね

?-? 鎌倉時代の画家,歌人。
藤原隆信(たかのぶ)の子。正四位下,左京権大夫。似絵(にせえ)の名手で,「後鳥羽(ごとば)天皇像」(水無瀬(みなせ)神宮),「随身庭騎絵巻」(大倉集古館),佐竹本「三十六歌仙絵巻」などの作者とつたえられる。歌は「新勅撰和歌集」などに130首余。説話集「今物語」の作者でもある。没年は文永2年(1265)など諸説があり,90歳くらいだったとされる。初名は隆実。法名は寂西。家集に「信実朝臣(あそん)集」。
【格言など】冬野にはこがら山がらとびちりて又いろいろの草の原かな(「夫木和歌抄」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原信実

生年:生没年不詳
鎌倉前期の歌人。似絵絵師。中務権大輔,備後守,左京権大夫を歴任し,従四位下となった。父は歌人,似絵絵師の藤原隆信,母は中務少輔藤原長重の娘。宝治2(1248)年出家。文永3(1266)年までの生存が確認でき,没年は文永5年,7年説などあり確定していないが,90歳近い長命を保った。初名は隆実,20代半ばに歌人として認められるが,一時不遇をかこち,40歳近くになって歌壇に復帰,歌集に『信実朝臣集』(1248頃)がある。晩年の歌には老いの感慨をうたったものが多い。また後鳥羽院,後堀川院の宮廷サロンで似絵の名手として活躍,父を継いで似絵の画法を大成した。順徳天皇の中殿御会の参列者を描いた「中殿御会図」(1218)の模本が残り,隠岐配流直前の姿を描いた「後鳥羽上皇像」(水無瀬神宮蔵),「随身庭騎絵巻」(大倉集古館蔵)の一部などが信実筆に帰されている。<参考文献>米倉迪夫「藤原信実考」(『美術研究』305号)

(相澤正彦)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらののぶざね【藤原信実】

1176?‐1266ころ(安元2?‐文永3ころ)
鎌倉時代の画家,歌人。父は藤原隆信。初名を隆実といい,備後守,左京権大夫に任ぜられ正四位下に叙せられた。1248年(宝治2)ころ出家し寂西と号した。父の画才をうけおもに鎌倉時代肖像画の新分野である似絵(にせえ)の画家として名声を得た。後鳥羽院御幸あらましの図,四季絵,後堀河院の北面・下﨟・随身像など多くの作画記録があるが,後鳥羽院と似絵の愛好で知られる後堀河院の時代に集中する。確証を欠くが《中殿御会図巻》(模本現存),《後鳥羽天皇像》(水無瀬神宮),《随身庭騎絵巻》(大倉文化財団)の一部は信実筆と推定されている。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらののぶざね【藤原信実】

1176頃~1265頃) 鎌倉前期の画人・歌人。隆信の子。法名、寂西。父の似せ絵を発展、「後鳥羽上皇像」「三十六歌仙絵巻」などの作者と伝える。また、「今物語」の著者とされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原信実
ふじわらののぶざね

[生]安元2(1176)
[没]文永2(1265)/文永3(1266)頃
鎌倉時代初期の廷臣,画家。藤原隆信の子。左京権大夫,正四位下にいたり,晩年は出家して寂西と号した。父から写実的な肖像画技法を継承し,微妙な墨線を重ねて対象に迫るその様式は,当時似絵 (にせえ) と呼ばれた。後鳥羽上皇に重んじられ,『中殿御会図』 (1218) や水無瀬離宮の四季絵などを描いた。承久3 (21) 年上皇の隠岐配流の際,信実を召して肖像を描かせたことは名高い。現存する2種の『後鳥羽上皇御影』 (水無瀬神宮) や『随身庭騎絵巻』 (大倉文化財団) は彼の作と推定される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原信実
ふじわらののぶざね

生没年未詳。鎌倉中期の宮廷画家、歌人。一説に文永(ぶんえい)2年(1265)12月15日没、89歳。藤原隆信(たかのぶ)の子、定家(ていか)の甥(おい)にあたる。20代前半まで隆実(たかざね)と称す。廷臣として仕え、中務権大輔(なかつかさごんのたいふ)を経て1231年(寛喜3)には正四位下、左京権大夫(さきょうごんのだいぶ)となる。晩年に出家し、寂西(じゃくせい)と号す。父隆信の肖像画の技法を受け継いで、似絵(にせえ)を発展・完成させた。1218年(建保6)には『中殿御会(ちゅうでんぎょかい)図巻』(模本が現存)を描き、また21年(承久3)には承久(じょうきゅう)の乱ののち隠岐(おき)に配流される直前の後鳥羽(ごとば)院の肖像画を描いたことが記録されている。33年(天福1)には当時の著名な歌人36人の肖像画を描くなど、その盛んな作画活動が知られる。伝称作品も多いが、大阪府・水無瀬(みなせ)神宮蔵の『後鳥羽院像』(国宝)は似絵の技法による優品で、前述の記録にもよく当てはまる。また『随身庭騎(ずいしんていき)絵巻』(東京・大倉集古館)、『三十六歌仙絵巻』(佐竹(さたけ)本)にも信実の描いた部分が含まれていると考えられる。歌人としても活躍し、『新勅撰(ちょくせん)集』などの歌集にその作品が選入されているほか、家集『信実朝臣(あそん)集』も現存する。さらに説話集『今(いま)物語』も著しており、その多才さがうかがわれる。[加藤悦子]

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世界大百科事典内の藤原信実の言及

【今物語】より

…1冊。藤原信実(1176?‐1266ころ)編。成立年時は未詳であるが,作中に延応1年(1239)の年紀が見えることから,それ以後,信実の晩年にかけての著述であろう。…

【似絵】より

…この作例は同時に次代への道を開く似絵の先駆的作品として位置づけることができる。隆信の子藤原信実に至り似絵は新しいジャンルとして確立し,似絵の用語例も彼の活躍期以降現れるのである。信実の作と推定されている《後鳥羽上皇像》(水無瀬神宮)は似絵の代表作の一である。…

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