加地庄(読み)かじのしよう

日本歴史地名大系 「加地庄」の解説

加地庄
かじのしよう

現新発田市・北蒲原きたかんばら加治川かじかわ村を中心とした庄園。加治川流域に立地し、庄名は古代の沼垂ぬたり賀地かじ郷の地にあたるためであろう。桓武平氏系図(尊卑分脈)には城二郎永基の子長成に「加地三郎」の注記があり、平安末期、城氏が開発に関与していたことを推測させる。なお東大寺領豊田とよた庄関係文書に、「豊田庄、号加地庄」との注記がままみられるが、それとは別である。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載せる乃貢未済庄々注文に「金剛院領堀河大納言家沙汰加地庄」とある。「金剛院」は、康治二年(一一四三)美福門院得子によって建立された金剛勝こんごうしよう(現京都市東山区)であろう。「堀河大納言」は源定房とみられる(尊卑分脈)。定房は美福門院の母と同じ村上源氏で、久寿二年(一一五五)には「美福門院御給」により正四位下となった(公卿補任)。鎌倉時代の久我家領の目録(久我家文書)に加地庄が載っているのは、沙汰職が村上源氏のなかで主流となった久我家に移譲されたためと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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