沼垂(読み)ぬったり

百科事典マイペディアの解説

信濃川河口右岸に位置した地名で,現在新潟市に沼垂東・沼垂西の地名が残る。近世中期まで信濃川に阿賀野(あがの)川が合流していたことなどもあり,地形変化が著しく,たびたび移転を余儀なくされた。古代には渟足(ぬたり)柵が設置されたほか,越後国に沼垂(ぬたり)郡沼垂郷があった。《延喜式》神名帳に載る沼垂郡美久理(みくり)神社を沼垂東に鎮座する白山神社にあてる説がある。沼垂郡は蒲原(かんばら)郡に吸収され,中世以降みえなくなる。《義経記》の源義経北国落ちの記事に〈乗足〉とみえる。南北朝時代は阿賀野川以北の北朝勢と以南の南朝勢の合戦場となった。このころには港の機能を有していたとみられ,戦国期には蒲原津・新潟津とともに〈三ヶ津〉と称された。御館(おたて)の乱後,一帯は上杉景勝から離反した新発田重家領であったが,1586年景勝の支配下となった。近世には新発田藩領で,同藩や沢海(そうみ)藩・村上藩の年貢米集散地として町並が発展した。寛文(1661年−1673年)ころの家数251,人数2120。港町の機能や権利をめぐる新潟町との争論に敗れ,1684年には栗ノ木川沿いに移転,以後湊の機能は低下した。1914年に新潟市に合併

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世界大百科事典 第2版の解説

越後国(新潟県)の港町。信濃川河口右岸に立地。647年(大化3)に設置された渟足柵(ぬたりのさく)の所在地と考えられている。《延喜式》神名帳にみえる沼垂郡美久理神社は沼垂白山明神にあてられる(《越後野志》説)。南北朝の争乱に,阿賀野川北部の北朝軍と中越後の新田党との争奪の場となり,1335年(建武2)色部高長がこの地に新田党を破った。 1581年(天正9)新発田重家は上杉景勝に背きこの地を固めた。近世になると新発田藩,沢海藩,村上藩の年貢米集積港となり諸国廻船が訪れ繁栄したが,1633年(寛永10)阿賀野川が信濃川に合流したため居所を失い,3度の移転を経て84年(貞享1)長嶺新田の地に移る。

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