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口之津 くちのつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

口之津
くちのつ

長崎県南東部,南島原市南西部の旧町域。島原半島の南端にあり,早崎瀬戸に面する。 1928年町制施行。 2006年加津佐町,南有馬町,北有馬町,西有家町,有家町,布津町,深江町と合体して南島原市となった。口之津港永禄5 (1562) 年有馬氏によって開かれたのち,永禄 10 (1567) 年以降南蛮貿易の玄関口として繁栄。一時はコレジヨなども設けられてカトリック布教の中心地となった。天正7 (1579) 年には全国宣教師会議が開かれたが,布教の中心はその後まもなく長崎に移った。 1878年に三池炭田の石炭積出港となったが,1908年福岡県の三池港 (→三池 ) の完成とともにその機能を失った。対岸にある熊本県天草市の鬼池港との間にフェリーが運航。早崎瀬戸の観潮は有名。国立口之津海上技術学校がある。漁業は一本釣り,養殖が行なわれ,農業ではジャガイモなどを産出。

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大辞林 第三版の解説

くちのつ【口之津】

長崎県南東部、南島原市の地名。島原半島南端の港町で、口之津港は南蛮貿易とキリスト教布教の地として開かれた。国立口之津海上技術学校がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

口之津
くちのつ

長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(口之津町(ちょう))。現在は南島原(みなみしまばら)市の南端部を占める。旧口之津町は1928年(昭和3)町制施行。2006年(平成18)深江(ふかえ)、布津(ふつ)、有家(ありえ)、西有家、北有馬(きたありま)、南有馬、加津佐(かづさ)の7町と合併、市制施行して南島原市となった。旧口之津町域は島原半島の南端に位置し、国道251号、389号が通じる。口之津港は島原湾、有明(ありあけ)海の入口に臨み、1562年(永禄5)有馬氏によって開港され、南蛮貿易とキリスト教布教の地として知られ、唐人(とうじん)町には「南蛮船来航之地」の碑がある。明治初期以来、三池(みいけ)炭坑の石炭積出し港として栄えたが、1909年(明治42)三池港完成以後は急激に衰微した。しかし、当地の就業人口の特色は、その30%以上が外国航路の乗組員になっていることで、1954年(昭和29)国立口之津海員学校が設立されている。港には2000トン級の船舶が横づけ可能の岸壁も完成し、対岸鬼池(おにいけ)港(熊本県天草(あまくさ))へフェリーボートが就航している。背後の丘陵地はミカン、ジャガイモ、タマネギの産地で、早崎(はやさき)半島には国立晩柑(ばんかん)試験場があり、早崎はタイなどの一本釣り、タコ壺(つぼ)漁を主とする漁村。[石井泰義]
『白石正秀著『口之津百年史』(1970・昭和堂)』

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