日本大百科全書(ニッポニカ) 「口之津」の意味・わかりやすい解説
口之津
くちのつ
長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(口之津町(ちょう))。現在は南島原市(みなみしまばらし)の南端部を占める。旧口之津町は1928年(昭和3)町制施行。2006年(平成18)深江(ふかえ)、布津(ふつ)、有家(ありえ)、西有家、北有馬(きたありま)、南有馬、加津佐(かづさ)の7町と合併、市制施行して南島原市となった。旧口之津町域は島原半島の南端に位置し、国道251号、389号が通じる。口之津港は島原湾、有明(ありあけ)海の入口に臨み、1562年(永禄5)有馬氏によって開港され、南蛮貿易とキリスト教布教の地として知られ、唐人(とうじん)町には「南蛮船来航之地」の碑がある。明治初期以来、三池炭坑(みいけたんこう)の石炭積出し港として栄えたが、1909年(明治42)三池港完成以後は急激に衰微した。しかし、当地の就業人口の特色は、その30%以上が外国航路の乗組員になっていることで、1954年(昭和29)国立口之津海員学校が設立されている。港には2000トン級の船舶が横づけ可能の岸壁も完成し、対岸鬼池(おにいけ)港(熊本県天草(あまくさ))へフェリーボートが就航している。背後の丘陵地はミカン、ジャガイモ、タマネギの産地で、早崎半島(はやさきはんとう)には国立晩柑(ばんかん)試験場があり、早崎はタイなどの一本釣り、タコ壺(つぼ)漁を主とする漁村。
[石井泰義]
『白石正秀著『口之津百年史』(1970・昭和堂)』