日本歴史地名大系 「加納庄」の解説 加納庄かのうのしよう 福島県:耶麻郡加納庄現在の喜多方市上三宮(かみさんのみや)町上三宮を中心として、同市の北部から熱塩加納(あつしおかのう)村の大部分をおおよその庄域としていたと考えられる庄園で、成立の時期や領家などについては未詳。康安元年(一三六一)一〇月六日佐原十郎高明は重代相伝の所領である「陸奥国加納荘」内の鷲田(わしだ)村(現熱塩加納村)の中在家・空性房在家各一宇、針生(はりう)村(現同上)の笠張在家一宇、合せて三間を黒川(くろかわ)(現会津若松市)の実相(じつそう)寺に寄進(「佐原高明寄進状案」新編会津風土記)、応安四年(一三七一)九月一二日にも同じく重代相伝の地である「鷲田村内海法屋敷・同往番田千刈」を同寺に寄進している(「佐原高明寄進状案」同書)。なお「新編会津風土記」などによると、嘉禄三年(一二二七)専修念仏者隆寛が奥州配流と定められた折、隆寛の護送に当たった森入道西阿は、所領である相模国愛甲(あいこう)郡飯山(いいやま)(現神奈川県厚木市)に隆寛をかくまい、配所へは高弟の実成を下したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by