朝日日本歴史人物事典 「加納直盛」の解説
加納直盛
生年:慶長17(1612)
江戸前期,伊賀国(三重県)上野に住した津藩加判奉行で治水開墾家。通称藤左衛門。号潜竜。父直成は藤堂高虎に仕え高虎の伊予より伊勢,伊賀移封に伴い上野に移る。直盛は上野に生まれ2代藩主高次に仕え,藩命により藩の土木技術者西島八兵衛の指導助力を得て新田開発に努め,山田郡山畑村(伊賀町)の原野開発,特に名賀郡美濃原(名張市新田)の開発には私財も投じて承応3(1654)年起工,上小波田野に大池と水路(小波田井溝)を新設し,翌年約49haを開墾,そのあとを子の直堅が継いで高尾井溝などの用水路や新田開発に努め,新田99ha,新畑49haを開発した。享保16(1731)年村民は遺徳を顕彰し加納神社(現在美波多神社に合祀)を建てた。<参考文献>『宗国史』上下,『名張市史』上,『先賢遺芳』
(杉本嘉八)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報