日本歴史地名大系 「加賀田村」の解説 加賀田村かがたむら 大阪府:河内長野市加賀田村[現在地名]河内長野市加賀田・北青葉台(きたあおばだい)・南青葉台(みなみあおばだい)天見(あまみ)谷の西側に南北に延びる加賀田谷を占める。北部で加賀田川が天見川に合流し、谷沿いに北より東部(とうぶ)・車作(くるまつくり)・神納(こうの)・中(なか)ノ組(くみ)・上(かみ)ノ組(くみ)・中山(なかやま)の集落が点在する。村の北は小塩(おしお)村、東は唐久谷(からくだに)村・流谷(ながれたに)村、南は和泉山脈の稜線をもって紀伊国。加賀田川の源である岩湧(いわわき)山は大阪府の顕彰名勝。永和年間(一三七五―七九)に近い頃の年月日不詳毛利元春自筆事書案(毛利家文書)にみえる「河内国加賀田郷者、土貢二百余貫也」は当地と考えられ、同事書案によると毛利時親の在京のための料所とされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by