大阪府の南端に位置して和歌山県との境界をなし、東の
和歌山県と大阪府の境を東西に走り、ほぼ和泉国の南を限るので、この名がある。その東端は大阪府と奈良県の境にあたる
和泉・葛城両山脈には古くから山岳宗教の行場が開かれており、その中心の金剛山はかつては葛城山とよばれていた。また両山脈を行場とする葛城修験道が成立すると、全体を単に「葛城山」とよぶようにもなった。したがって葛城修験道をいう場合、両山脈内の行場が含まれる。葛城修験道は大峯修験道同様顕著な山々と寺の独立した信仰を一本のルートで結んだ修行路を軸として成立った。おもな山に西から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府と和歌山県の境をなして東西にのびる山脈。南側の紀ノ川の河谷とともに,地質構造上の中央構造線に沿ってできた山脈で,西は紀淡海峡から東は紀見峠に至り金剛山地に続く。長さ約50km。高度は西で300m前後,東にいくにしたがって高くなり,最高峰の岩湧(いわわき)山(897m),三国山(885m),大石ヶ峰(860m),葛城山(858m)など900m近い峰が連なる。山脈の南側は,紀ノ川の河谷に向かって急傾斜した断層崖をなし,北側の大阪平野へはゆるやかに移行して,傾動地塊のような地形を呈している。地質は上部白亜紀の和泉砂岩からなり,岩相は海成のレキ岩,砂岩,ケツ岩の互層で,北の領家花コウ岩,変成古生界,白亜紀和泉酸性岩を不整合におおっている。主脈の和泉層群と北の花コウ岩や酸性岩よりなる前山との間には岩質の差によって縦谷が発達している。和泉砂岩は和泉石とか青石とか呼ばれて石碑,灯籠,石垣などに用いられる。中央構造線は和泉層群の堆積前から第四紀まで四つの段階に分かれて動いた。また山脈を断層が横切り,そこにできた鞍部は大阪府と和歌山県の通路となり,孝子(きようし)峠,風吹峠,紀見峠などがある。葛城山,犬鳴山の山腹には中世に修験道場が開かれた。山脈の北斜面は瀬戸内式気候に属して溜池が多く,タマネギ栽培を主とするが,南斜面は温暖多雨でミカン栽培が盛んである。
執筆者:水山 高幸
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大阪府・和歌山県境に東西に連なる延長約50キロメートルの山脈。東は金剛(こんごう)山地と境する紀見(きみ)峠に始まり、主峰の岩湧(いわわき)山(897メートル)、三国山(886メートル)、葛城(かつらぎ)山(858メートル)などの山々が続き、西に行くにしたがって低くなり、紀淡(きたん)海峡に至る。地層は中生代白亜紀の和泉砂岩層で、礫岩(れきがん)、砂岩、頁岩(けつがん)の互層からなる。山頂は隆起準平原の平坦(へいたん)面を残して高原状をなし、展望に恵まれ、東部は金剛生駒紀泉(こんごういこまきせん)国定公園に編入され、観光開発が進んでいる。山脈の南斜面は断層崖(がい)で、紀ノ川に沿う中央構造線に該当する。北斜面はなだらかだが、2列の前山列があり、山深い地形をなす。そのため中世修験道(しゅげんどう)の霊場に選ばれ、岩湧寺、七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)などの建立をみた。山脈を横断する交通線は峠道を利用し、紀見峠を南海電鉄高野(こうや)線、山中峠をJR阪和線、孝子(きょうし)峠を南海電鉄南海本線が通る。産物に杉、松などの森林資源のほか、山麓(さんろく)ではミカンの栽培が盛ん。また和泉砂岩は碑石など石材に用いられる。
[位野木壽一]
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