地蔵寺(読み)じぞうじ

日本歴史地名大系 「地蔵寺」の解説

地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]板野町羅漢

羅漢らかん地区の北方、黒谷の大日くろだにのだいにち寺から約二キロ山を下ったところにある。無尽山荘厳しようご院と号し、真言宗御室派。本尊は勝軍地蔵。法人名は荘厳院。四国霊場八十八ヵ所第五番札所。御詠歌は「六道の能化の地蔵大ぼさつミちびきたまへあの世のちの世」。寺伝によると、弘仁一二年(八二一)に嵯峨天皇の勅願によって空海が開いた寺で、空海は勝軍地蔵の小像を刻んで本尊としたという。そののちに当寺の浄函が紀州熊野権現の遷宮に際し導師を勤めたとき、熊野権現の神託によって霊木を得て延命地蔵を刻み、その胎内に本尊仏を納めたという。戦国期には三好氏の保護を受けたとされ、阿州三好記大状前書(徴古雑抄)によると、寺領二〇貫目を得て真言宗の宗頭を勤めたとあり、阿州三好記並寺立屋敷割次第(同書)によると、客殿・庫裏・取次、唐破風造の玄関、奥座敷・鐘撞堂・護摩堂・下坊主部屋・御供所・仁王門・三門・表門・裏門があり、寺内下寺は二六ヵ寺、屋敷は三町七反余であった。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]西京区桂春日町

旧山陰道沿いにある。俗にかつら地蔵という。久遠山と号し、浄土宗。本尊は地蔵菩薩。洛陽六地蔵第五番札所。寺伝は平安期の参議小野篁が冥土で生身の地蔵を拝し、蘇生して彫刻した六地蔵の一つで、保元二年(一一五七)七月、平清盛が平安京の安全を祈るため、洛内への諸街道口に木幡こはた(現京都府宇治市)より分祀したものという。しかし弘治二年(一五五六)撰の「桂川地蔵記」に篁や清盛の記述がまったく見当らないこと、同記の記載「こヽに 応永二十三年歳次丙申、秋七月四日当甲午之日、故平安城今西宮之御縁日也、乃各若欲サント終夜之参籠」と、伏見宮貞成親王の「看聞日記」応永二三年(一四一六)七月一六日条に「伝聞、山城国桂里ニ辻堂之石地蔵去四日有奇得不思儀事」とある瑞祥記事の日付が一致し、地蔵記のそれ以前の記述が具体性を欠くことから、応永二三年をさして遠くさかのぼらない時期に祀られたと推定される。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]九度山町椎出

不動谷ふどうだに川左岸にある。玉椎山東洋院と号し、高野山真言宗。本尊薬師如来。当地に古くから鎮座した弁財天社の別当寺とされ、「続風土記」は「宮の境内にあり、本堂・地蔵堂・大日堂あり、三堂の仏皆古仏なり、大日堂の本尊旧は此地に塔ありし時の本尊といふ」と記す。明治四四年(一九一一)笠木かさぎ上古沢かみこさわ・中古沢・下古沢・椎出しいで(現九度山町)の五ヵ字の協議によって、笠木薬師寺・上古沢谷上たにがみ寺・中古沢観音寺・下古沢安福あんぷく寺の四寺を地蔵寺に統合、五ヵ字の菩提寺とした。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]貴志川町前田

貴志川と、その支流丸田まるた川の合流する低湿地帯南西部にある。無尽山と号し、真言宗御室派。本尊は延命地蔵。創建は不詳であるが、「続風土記」に「船戸明神の境内にあり」とあり、前田まえだにあった船戸明神の神宮寺であったと思われる。江戸時代の作と推定される般若十六善神像図が蔵され、般若講の時に開帳したという。伝えによると、岸宮きしみや八幡神社の大般若経六〇〇巻を岸宮の大日だいにち寺、尼寺あまでらの観音寺と当寺に二〇〇巻ずつ分けてそれぞれ般若講を結衆したという。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]国富町伊佐生

前田まえだにある。龍巌山と号し、曹洞宗。本尊は地蔵菩薩。当寺の由緒書によると、文亀元年(一五〇一)九畝の開山で、もと八代南俣の光孝やつしろみなみまたのこうこう寺末寺であったが、伊佐生いざおが天正一五年(一五八七)秋月氏(高鍋藩)領となってからは太平たいへい(現高鍋町)の末寺となったとされ、「日向地誌」にも太平寺末寺とある。しかし貞享三年(一六八六)高鍋藩寺社帳には当寺は光孝寺の末寺で、開山の竺雲曇は応永三年(一三九六)一一月二〇日没とあり、文久二年(一八六二)の「諸県巡見日記」にも光孝寺末寺とある。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]稲沢市小池正明寺町 地蔵寺東

大江おおえ川と大助おおすけ川との間にあり、重輪山と号し真言宗豊山派、本尊阿弥陀如来。大永四年(一五二四)玄誉法印が中興開山(徇行記)で、善福ぜんぷく寺の本尊阿弥陀如来坐像を当寺に移し、地蔵菩薩に代えて本尊にしたと伝える。善福寺は国府宮威徳こうのみやいとく院末で、廃寺後、本尊を威徳院に移したが、威徳院も明治初期の神仏分離で廃寺になり当寺に移したとも伝える(新修稲沢市史)


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]小松島市松島町

小松島市街地の中央部にある。国伝山宝珠院と号し、真言宗大覚寺派。本尊は地蔵菩薩。空海の開創と伝えている。阿州三好記大状前書(徴古雑抄)によれば寺領は一三貫文で、四間・一〇間の客殿をはじめ庫裏・鐘撞堂・土蔵・地蔵堂などがあった(「阿州三好記並寺立屋敷割次第」同書)。天正七年(一五七九)吉成対馬守・高市伊賀守により境内八〇〇歩が免除された。蜂須賀家政の入部に伴い南北八院の一つとされ、元和二年(一六一六)境内および塔頭六院の境地の合せて九五〇坪余が除地とされた。中興開山は長見という(地蔵寺縁起)


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]天白区天白町島田 東寄鷺

古厩山と号し、曹洞宗。本尊地蔵尊像。寺伝によれば、嘉吉二年(一四四二)樵山が開山となり一宇を建立、越前国永平寺末寺として島田山広徳こうとく院と称した。明応九年(一五〇〇)鳴海なるみ(現緑区)瑞泉ずいせん寺秀建により再建され、島田山地蔵寺と称した。天正年間(一五七三―九二)古厩山と改号。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]安代町 田山 沢口

田谷山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。慶安二年(一六四九)浄法寺じようぼうじ(現浄法寺町)福蔵ふくぞう寺六世徹山の開山と伝える。「新撰陸奥国誌」によれば、本堂の南に三尺に一間の地蔵堂があり、その由緒は「旧地蔵庵と云ふ、旧記を按に本村より六丁塔ノ沢と云る所に空海彫刻せし石像ありし、名区なれは廃除すへからすとて寛永中塔ノ沢の北三丁計横堰と云所に遷し庵を建て、山刀素研の木像を安置して之を奉拝し、横堰の地蔵庵と呼へり(中略)田山は殊に幽僻の地にして寒暑檀用の往復に苦しむ時或は作善欠くに至るへし、去は彼の地にも一宇を開基せんと村長に議り、米代川の側古墟の下に浄地を撰ひ、横堰の地蔵庵を遷て(中略)仮に石像を安置して本尊とす」とある。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]明和村新里

新里につさと集落の中央に所在する。真言宗豊山派、山号小比叡山、本尊地蔵菩薩。山号から推してかつて天台宗寺院であったと思われるが、寺誌がなく、創建事情や改宗については不明。中興開山を行鑁とする。行鑁上人縁起(寺蔵)によると、行鑁は一石一字大般若経六〇〇巻・光明真言百万遍を書写して疾病による災難を救おうと大願をたて、近在を教化する途中清浄な石を拾って書写した。正徳三年(一七一三)終了、行鑁七三歳のときであった。書写した石を新里村の鎮守(菅原神社)の北西の隅に埋め、その上に塔を建て石経円塔と名付け毎年法会を開いた。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]橋本市菖蒲谷

菖蒲谷しようぶたに集落の西部に位置し、高野山真言宗。易産山護国院と号し、本尊は地蔵菩薩。子安地蔵こやすじぞう寺ともよばれる。行基の開基と伝え、天正(一五七三―九二)の兵火で焼失したが、正保五年(一六四八)徳川頼宣が再興。本尊について「続風土記」は「其体は左手に玉を載せ、右手に錫杖をつかす、眼中に玉を用ひす、細密の工にあらすして真に古仏なり」と記す。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]一宮市本町

宝部山竜華院と号し、真言宗豊山派。行基の草創と伝える。建長年中(一二四九―五六)空円をもって中興の祖とする。真清田ますみだ神社の別当職をつかさどり、日常の法会は末院の般若はんにや院の境内において厳修した。寛永初年火災にかかり、のち良照により再建、文政九年(一八二六)、大正四年(一九一五)、昭和二〇年(一九四五)と罹災した。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]蟹江町蟹江新町 上ノ割

浮島山と号し、真言宗智山派。本尊は地蔵菩薩。縁起によれば、蟹江城主渡辺源十郎の祈願所として天文九年(一五四〇)創建。開基は留林儒都という。天正一二年(一五八四)小牧・長久手合戦に続く蟹江合戦堂塔伽藍のすべてを焼失したが、奇跡的に難を免れた本尊を火伏地蔵として尊崇し、毎年旧正月二四日に火伏祭を厳修し祈願札を各戸に分った。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]知多市大草 東屋敷

大草おおくさ城跡の東にある。摩尼山と号し、真言宗。本尊は石地蔵。弘安元年(一二七八)良敏の開山。文安二年(一四四五)政舜の中興。寺伝によれば、天平年中(七二九―七四九)行基が訪れ伽藍を造営、大日如来像を彫刻し安置したという。


地蔵寺
じぞうじ

[現在地名]春日井市大和通一丁目

瑞雲山と号し、臨済宗東福寺派。本尊釈迦如来。文永元年(一二六四)山田左衛門明長が創建。開山の道証は明長の甥で、花園天皇から無尽禅師の称号を授けられた(府志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「地蔵寺」の解説

地蔵寺

徳島県板野郡板野町にある寺院。真言宗御室派。山号は無尽山、院号は荘厳(しょうご)院。本尊は延命地蔵菩薩、勝軍地蔵菩薩(胎内仏)。821年、空海による開創と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第5番札所。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「地蔵寺」の解説

地蔵寺(第5番)

(徳島県板野郡板野町)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

地蔵寺

(長野県諏訪市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の地蔵寺の言及

【板野[町]】より

…山麓には県指定史跡の愛宕山古墳をはじめ遺跡が散在する。四国八十八ヵ所3番札所金泉寺,4番大日寺,5番地蔵寺がある。高徳線板野駅から鍛冶屋原線が分岐していたが,1972年に廃された。…

※「地蔵寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android