朝日日本歴史人物事典 「勝井五八郎」の解説
勝井五八郎
生年:文化12.1.12(1815.2.20)
幕末の対馬藩士。五郎吉の子。名は員周。一時流謫されていたが,藩主の側室であった妹タミの生んだ善之允(宗義達)を世子にするため,万延1(1860)年同志と共に立つ。文久2(1862)年に反対派の家老佐須伊織を討ち,善之允の襲封に成功すると外戚として権勢を得た。以後,対馬藩では尊王攘夷派が主導権を握ったが,8月18日の政変以降,勝井は反幕府的な長州との同盟路線を警戒し,元治1(1864)年に平田大江と手を組んで政権を握り,大浦教之助ら尊攘派に対する苛烈な弾圧を開始した。この勝井騒動で多くの藩士が殺され,内外の批判が高まったことから,翌年藩主の命で討たれた。<参考文献>川本達『対馬遺事』,『長崎県史 藩政編』
(木村直也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報