日本歴史地名大系 「勝岡郷」の解説 勝岡郷かつおかごう 宮崎県:北諸県郡三股町勝岡郷鹿児島藩の近世外城の一つ。諸県郡に所在し、樺山(かばやま)村・餅原(もちばる)村・蓼池(たでいけ)村(勝岡村)からなる(「三州御治世要覧」など)。三ヵ村の地は文禄三年(一五九四)の太閤検地に伴って北郷忠虎領となり(「北郷忠虎譜」旧記雑録)、翌四年に伊集院幸侃(忠棟)領となったとみられ、慶長四年(一五九九)からの庄内合戦を経て北郷氏(都城島津家)領となり、同一九年に上知されて鹿児島藩直轄領となる(「古今山之口記録」・北郷氏系図など)。なお同一七年の北郷氏宛の知行目録(都城島津家文書)に樺山は高一千九七一石余、勝岡は高一千二〇七石余とみえる。同一九年には高城(たかじよう)郷へ移された鹿児島藩の表方士三〇〇人のうち三五人が当郷へ「人配」された(前掲山之口記録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by