日本歴史地名大系 「勝広寺」の解説 勝広寺しようこうじ 新潟県:両津市湊町勝広寺[現在地名]両津市湊湊(みなと)町のやや北寄り、江戸初期に役屋の置かれた城の内(しろのこし)地内にある。真宗大谷派、知恵海山と号し、本尊阿弥陀如来。当寺縁起などによると、出羽土崎(つちざき)(現秋田市)の浄願(じようがん)寺の道受と六人の者が来島して当地に仮堂を建て、慶長元年(一五九六)には、沢根(さわね)(現佐和田町)の鶴子(つるし)銀山、同一〇年には上新穂(かみにいぼ)村(現新穂村)大工沢(だいくざわ)の新穂銀山に移住、同一五年湊町に遷った。寺蔵の顕如上人絵像の裏書には、同年銘で「佐州賀茂郡湊村勝広寺什物 願主釈超賢」とある。さらに「佐渡国寺社境内案内帳」によると、元和(一六一五―二四)の初期に大久保長安の手代服部伊豆守が居住したため原黒(はらくろ)村境の道場口(どうじようぐち)に遷し、同一〇年伊豆守没後に現在地に遷ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by