20世紀日本人名事典 「勝田蕉琴」の解説 勝田 蕉琴カツタ ショウキン 大正・昭和期の日本画家 生年明治12(1879)年11月 没年昭和38(1963)年9月9日 出生地福島県棚倉町 本名勝田 良雄 別名別号=研思荘 学歴〔年〕東京美術学校日本画科〔明治38年〕卒 経歴野出蕉雨に南画を学び、明治32年橋本雅邦に入門。美校卒業後、岡倉天心の推薦でインド王族タゴール家に招かれて渡印、仏画制作と仏教美術を研究した。40年帰国、同年の第11回文展で「出城」「降摩」が初入選。国画玉成会に参加したが、大正2年第7回文展に「林の中から」を出品、官展に復帰した。その後帝展、新文展で活躍、昭和4年第10回帝展の審査員を務めた。「粉雪ふる朝」「夏の夕」などの代表作がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝田蕉琴」の解説 勝田蕉琴 かつた-しょうきん 1879-1963 大正-昭和時代の日本画家。明治12年11月3日生まれ。橋本雅邦に入門。岡倉天心の推薦で王族タゴール家にまねかれ,インドで仏画の制作と仏教美術の研究に従事。明治40年帰国し,第1回文展で「出城釈迦」「降魔」が初入選。帝展,新文展で活躍,帝展の審査員もつとめた。昭和38年9月9日死去。83歳。福島県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は良雄。作品はほかに「林の中から」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by