日本歴史地名大系 「勝福寺跡」の解説 勝福寺跡しようふくじあと 宮崎県:東諸県郡国富町深年村勝福寺跡[現在地名]国富町深年寺中(じちゆう)にある。金剛密山妙光(みようこう)院善哉(ぜんさい)坊と号し、当山派修験。本尊は神変大菩薩(三国名勝図会)。「高岡名勝志」に載る寛喜三年(一二三一)五月日の鐘銘に「諸県御庄 勝福寺」とみえる。鎌倉時代末期、伊東祐時・祐光の菩提寺として一寺を建立、祐光(ゆうこう)寺と名付けられ、深歳(ふかどし)三〇町が寄付されたと伝える(日向記)。「宮崎県史蹟調査」によると、初め勝福寺と号し、祐光寺と改称したのち再び勝福寺に復したという。天正八年(一五八〇)一一月七日の伊集院忠棟・上井覚兼連署日州両院惣先達職宛行状(高岡名勝志)によれば、善哉坊は日州両院の惣先達職を安堵されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by