勝賀瀬村(読み)しようがせむら

日本歴史地名大系 「勝賀瀬村」の解説

勝賀瀬村
しようがせむら

[現在地名]伊野町勝賀瀬

楠瀬くすのせ村の北東に位置し、南は仁淀によど川が大きく北に蛇行した所に勝賀瀬川が合流する。北の中追なかおい村との境界は峡谷で、北西鷹羽たかばもりがある。吾川郡に属し、「土佐州郡志」は「東西一里半南北二里許、戸凡六十余」と記す。

吾川山あがわやま庄のうちと思われる下分しもぶん七名に含まれたと考えられ、天正一七年(一五八九)の下分七名地検帳に村名がみえる。吉良親実領で、切畑の記載が目立つ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む