日本大百科全書(ニッポニカ) 「仁淀」の意味・わかりやすい解説
仁淀
によど
高知県中央部、高岡郡にあった旧村名(仁淀村(むら))。現在は仁淀川町の南西部を占める地域。仁淀川上流右岸に位置する山村。旧仁淀村は、1954年(昭和29)別府(べふ)、長者(ちょうじゃ)の2村が合併して成立。2005年(平成17)池川町、吾川(あがわ)村と合併して、仁淀川町となった。国道439号が通じる。林野率が89%に及び、耕地率は0.6%、水田は耕地の18%。かつての山畑や焼畑でのトウモロコシ、麦、大豆、アズキ、ソバなどの雑穀栽培や、コウゾ、ミツマタ栽培は衰え、現在は茶の栽培が盛ん。南西部の鳥形山(とりがたやま)では1971年から石灰岩採掘が大規模に進行、山頂部から切り崩され、山容が著しく変化した。北境の仁淀川本流には大渡(おおど)ダムが建設された。秋葉神社の神輿(みこし)の渡御還幸(とぎょかんこう)に供奉(ぐぶ)する練り行列は「秋葉祭の芸能」として選択無形民俗文化財。鳥形山南西の引割峠(ひきわりとうげ)には大引割・小引割(国の天然記念物)とよばれる大亀裂(きれつ)がある。
[大脇保彦]
『『仁淀村史』(1969・仁淀村)』