吾川郡(読み)あがわぐん

日本歴史地名大系 「吾川郡」の解説

吾川郡
あがわぐん

面積:五三三・四〇平方キロ
春野はるの町・伊野いの町・吾北ごほく村・池川いけがわ町・吾川あがわ

高知県中央部に位置し、東は高知市と土佐郡に、西は土佐市と高岡郡に、北は愛媛県上浮穴かみうけな郡に接し、南は土佐湾に臨む。石鎚いしづち山系に源を発する仁淀によど川が、中津なかつ川・池川川・上八川かみやかわ川などの水を集めて高岡郡・土佐市との境を東南流し、土佐湾に注ぐ。北部は一〇〇〇メートル級の山が重畳する山間部で、奥深い山谷を形成し、林産や製紙原料を主として生産する。中部は山村農村との中間地域で、紙業地として著名。南部は弘岡ひろおか平野(吾南平野)とよばれる農村地帯で、米作から野菜園芸へと経営形態も変化している。

吾川は吾河とも書き、郡名の由来について安養寺禾麻呂は「土佐幽考」に「吾川・高岡旧一郡也、郡中有吾川是所謂贄殿川也、郡名起之」と記し、仁淀川の古名を贄殿川、別名を吾川と称したのに基づくという。

〔原始・古代〕

吾川郡の縄文遺跡は伊野町バーガ森の北西麓に縄文後期の奥名おくな遺跡のほか二、三ヵ所発見されている。弥生時代の遺構としては、郡南部春野町秋山の山根あきやまのやまね遺跡が当地方の稲作開始期のものとして注目される。バーガ森の北斜面からは弥生中期後半の高地性集落跡が見付かり、眼下の天神てんじん川河川敷には銅剣・銅戈や弥生後期末の住居跡も発見されている。そのほか同町寺門てらかど遺跡からは弥生後期前半の土器が多量に出土しており、春野町の西畑さいばたフケ遺跡からは銅矛が出土している。

古墳は少なく、伊野町内に枝川えだがわ古墳群など四基、春野町弘岡上ひろおかかみに一基発見されているにすぎず、古代における吾川郡の後進性を物語るが、伊野町八田はた岩滝いわたきはな遺跡からは古墳時代の鉄斧が出土している。春野町西分にしぶんには現在大寺おおでらの地名が残るが、同地からは奈良時代の寺院瓦などが出土、郡下唯一の古代寺院遺跡であり、当時の中心的地域であったとされる。

文献上の郡名の初見は天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)で、「吾川郡大野郷五十戸」とみえる。また正倉院御物の緑大幡断片の同七年一〇月の年号のある墨書には「土左国吾川郡桑原郷戸主日奉部夜恵調壱匹長六丈広一尺九寸」と記される。「土佐国風土記」逸文にも「吾川郡玉島」とみえる(玉島は現高知市浦戸湾内の島)。「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二三日条に「土左国吾川郡八郷、各分四郷二郡、新郡号高岡、郡司者分元四員、各置二員」とあり、この時高岡郡が分置されるまでは、仁淀川を挟んだ広大な郡であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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