日本歴史地名大系 「吾川郡」の解説
吾川郡
あがわぐん
高知県中央部に位置し、東は高知市と土佐郡に、西は土佐市と高岡郡に、北は愛媛県
吾川は吾河とも書き、郡名の由来について安養寺禾麻呂は「土佐幽考」に「吾川・高岡旧一郡也、郡中有吾川是所謂贄殿川也、郡名起之」と記し、仁淀川の古名を贄殿川、別名を吾川と称したのに基づくという。
〔原始・古代〕
吾川郡の縄文遺跡は伊野町バーガ森の北西麓に縄文後期の
古墳は少なく、伊野町内に
文献上の郡名の初見は天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)で、「吾川郡大野郷五十戸」とみえる。また正倉院御物の緑大幡断片の同七年一〇月の年号のある墨書には「土左国吾川郡桑原郷戸主日奉部夜恵調壱匹長六丈広一尺九寸」と記される。「土佐国風土記」逸文にも「吾川郡玉島」とみえる(玉島は現高知市浦戸湾内の島)。「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二三日条に「土左国吾川郡八郷、各分四郷建二郡、新郡号高岡、郡司者分元四員、各置二員」とあり、この時高岡郡が分置されるまでは、仁淀川を挟んだ広大な郡であったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報