日本歴史地名大系 「北三谷村」の解説 北三谷村きたさんやむら 東京都:足立区北三谷村[現在地名]足立区東和(とうわ)一―三丁目・東綾瀬(ひがしあやせ)一―三丁目・中川(なかがわ)四丁目普賢寺(ふげんじ)村の東に位置し、北は長左衛門(ちようざえもん)新田・蒲原(かばら)村、東は大谷田(おおやた)村、南は古隅田(ふるすみだ)川。慶長一九年(一六一四)土豪河合平内が普賢寺新田とともに関東郡代伊奈忠治から開発定書(足立区立郷土博物館所蔵文書)を獲得して開発が進められた。河合氏は北三谷新田・普賢寺新田のほか、元和二年(一六一六)には大谷田(おおやた)新田・六ッ木(むつぎ)新田・千住榎木(せんじゆえのき)新田の各新田に対して発給された開発定書(同文書)でも開発請負人として登場し、新田開発を主導した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報