北久太郎町三丁目(読み)きたきゆうたろうまちさんちようめ

日本歴史地名大系 「北久太郎町三丁目」の解説

北久太郎町三丁目
きたきゆうたろうまちさんちようめ

[現在地名]東区北久太郎町二丁目船場中央せんばちゆうおう二丁目

北久太郎町二丁目の西に続き、さかい筋から難波橋なにわばし筋を経て中橋なかばし筋まで。町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図に載る。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数三八・役数五四半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は播磨屋惣左衛門。延享版「難波丸綱目」に阿波徳島藩家来稲田九郎兵衛蔵元・銀掛屋の野田屋嘉兵衛、金座下金買近江屋半兵衛ほか一、金銀上澄屋近江屋徳兵衛、伊勢志摩国問屋・江戸買物問屋のならや忠兵衛、金銀粉梨子地薄所・大和紙問屋(かね紙)・釘口屋・医師各一が載り、「浪華画人組合三幅対」に姫丸・月人・嘉包、「浪花当時人名録」に俳人茶飯堂蟻兄、「大阪両替手形便覧」には近江屋富太郎がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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