北久太郎町二丁目(読み)きたきゆうたろうまちにちようめ

日本歴史地名大系 「北久太郎町二丁目」の解説

北久太郎町二丁目
きたきゆうたろうまちにちようめ

[現在地名]東区北久太郎町一―二丁目・船場中央せんばちゆうおう二丁目

北久太郎町一丁目の西にあり、一丁目筋より八百屋町やおやまち筋を経てさかい筋まで。町名は明暦元年(一六五五)水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数四九・役数五二役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は薄屋弥左衛門。安政三年(一八五六)には屋敷数四二・役数五二役で、うち年寄分・会所分各一役が無役(前掲水帳)。人数は延宝四年(一六七六)には六〇五、うち町人とその家族は一四九(三五戸)、借屋人は二二六人、下人・下女は二二九人であった(ただし合計数合わず)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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