立花(読み)リッカ

デジタル大辞泉 「立花」の意味・読み・例文・類語

りっ‐か〔‐クワ〕【立花/立華】

花や枝などを花瓶に立てて生けること。たてばな。
生け花の型の一。江戸前期に2世池坊専好いけのぼうせんこうが大成した最初の生け花様式。真とよばれる役枝中央に立て、それにそえうけなどとよばれる七つの役枝(七つ道具という。のちに九つ道具となる)をあしらって全体として自然の様相をかたどったもの。現在、池坊に伝承されている。たてばな。→七つ道具

たて‐ばな【立(て)花】

《「たてはな」とも》
花瓶に立てて仏前などに供える生花
室町末期に様式が定まった、床飾りの花。のち立花りっかに発展した。
「華」の字を、「花」と区別していう語。

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精選版 日本国語大辞典 「立花」の意味・読み・例文・類語

りっ‐か‥クヮ【立花・立華】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 仏前に供える花の法式。銅製の花器に松や梅などの花木を立て生けにするもの。池坊流、大受院流、周玉流、能阿彌流などがあった。たてばな。
    1. [初出の実例]「毎年八月十四日十五日は祭礼にて、家毎に思ひ思ひの、立花(リックヮ)投げ入れの花瓶を備へ」(出典:人情本・恩愛二葉草(1834)三)
  3. 花道の基本的な様式。室町時代に定型化した、生け花の初期の様式。花のある木を立てるところからの称。桃山末期から江戸初期頃に池坊専好によって大成された。たてばな。
    1. [初出の実例]「Ricqua(リックヮ)。ハナヲ タツル〈訳〉花束のように花瓶に花をいけること」(出典:日葡辞書(1603‐04))
    2. 「此間は立花がはやって、各のまはり花をなさるるが」(出典:虎明本狂言・真奪(室町末‐近世初))

立花の語誌

( 1 )仏に花を供える習慣は古くからあったが、鎌倉時代には供花の方法も次第に形式化し、仏像の左右に花を直立させた花瓶を置いたり、三具足の一として配置されたりするようになった。中心となる花・木を直立させる立花の様式はこれに基づくといわれる。室町時代には観賞用として花を飾ることもさかんになり、様式化が進んだ。
( 2 )「立花」をリッカと読んで特定の様式をさすようになるのは、池坊専好の登場によってである。


たて‐ばな【立花】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「たてはな」とも )
  2. 仏前にそなえる花の法式。銅製の花器に松や梅などの花木を立て生けにするもの。池坊流、大受院流、周玉流、能阿彌流などがあった。りっか。
    1. [初出の実例]「いづくへゆくぞととはせければ、ひえの山の念仏の立花になんもてまかるといひければ」(出典:松井本和泉式部集(11C中))
  3. 池坊流花道の形式の一つ。桃山末期から江戸初期頃、初世・二世の池坊専好が大成したもの。針金などを用いて、花・枝・葉などをさまざまに曲げ整えて、大がめに挿して床飾りなどとする。また、その花。一説に、室町中期頃、立花(りっか)・砂の物・胴束の三形式に分かれる花道初期の写実的様式の呼び名ともいう。りっか。
    1. [初出の実例]「宰相中将殿ゑ御たてはなまいらるる」(出典:御湯殿上日記‐文明九年(1477)七月三日)
  4. 「華」の字を、「花」の字と区別していう語。〔俚言集覧(1797頃)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「立花」の意味・わかりやすい解説

立花(いけ花)
りっか

いけ花様式の一つ。立華とも書く。その立てる形式から初期は「たてはな」とよばれたが、様式の整備とともに「りっか」と呼称されるようになった。その初見は1683年(天和3)刊の『立花大全(だいぜん)』で、このなかで立花は、心(しん)、正心(しょうしん)、副(そえ)、請(うけ)、見越(みこし)、流枝(ながし)、前置(まえおき)の七つ道具、すなわち基本となる役枝(やくえだ)が明確に規定され定型化した。この形式は室町時代、15世紀末から座敷飾りとして発展した「たてはな」を、江戸初期のいけ花の名手として知られる池坊専好(いけのぼうせんこう)(2代)が寛永(かんえい)(1624~44)ごろ大成したものである。立花は自然のありのままをいけるものではなく、それを象徴化することにより理想の世界を具現しようとするもので、2代目専好は『立花口伝書(くでんしょ)』に「立華の実躰(じったい)というのは、須弥山(しゅみせん)に標(しる)し、七種の枝葉を以(もっ)て、世界の山野水辺をあらわす」と述べている。そして「円正な形であらわし」というように、心を中心にほかの役枝が調和均衡よく配置され、それを統一的に球状にまとめた姿をよしとする。立花は元禄(げんろく)期(1688~1704)に隆盛を極めたが、七つ道具を不可欠な構成要素とするところから固定化し、これに繁雑な形式も加わって豪華な形式のものとなり、当時のはで好みの富裕な町人層に迎えられた。こうしたところから人為的要素が強くなり、当初の自然のままの花材を使う「生(う)ぶ立て」から花材を型にあわせるための技巧的な「幹(みき)づくり」の手法に進み定型化に拍車をかけ、その創造的な生命感を失い古典化したが、伝統的な洗練された造形表現には今日もなお学ぶべき多くのものがある。

[北條明直]


立花(福岡県の地名)
たちばな

福岡県南端、八女郡(やめぐん)にあった旧町名立花町(まち))。現在は八女市の南西部を占める地域。旧立花町は、1955年(昭和30)光友(みつとも)、北山(きたやま)、白木(しらき)、辺春(へばる)の4村が合併して町制施行。2010年(平成22)、黒木(くろぎ)町、矢部(やべ)村、星野(ほしの)村とともに八女市へ編入。古生層からなる県境の筑肥(ちくひ)山地の北斜面が広がり、旧町域の北端に矢部川中流左岸の狭い沖積低地がある。国道3号が小栗(おぐり)峠を越えて熊本県に通じる。主産業は農業で、米麦のほか、ミカン、キウイフルーツ、タケノコ、茶、ウメなどを産し、とくにミカンは元禄(げんろく)年間(1688~1704)に起源をもつ県内屈指の生産地であり、町名も橘(たちばな)にちなんでつけられた。兼松(かねまつ)集落には缶詰工場が立地している。辺春川上流はゲンジボタルの里として知られ、飛形(とびかた)山(450メートル)からの眺めはすばらしい。

[石黒正紀]

『『立花町史』(1996・立花町)』

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日本歴史地名大系 「立花」の解説

立花
たちばな

[現在地名]度会町長原 立花

宮川中流右岸の段丘上にある。北は麻加江まかえ村、南は小山谷こやまだに川で南鮠川みなみはいかわ村と境をなしていたと考えられる。「神鳳鈔」に伊勢神宮内宮領として「立花御薗」とある故地。近世を通じて長原ながはら村の枝郷。字山崎やまざきに山崎屋敷跡とよぶ空堀をもつ館跡がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「立花」の意味・わかりやすい解説

立花 (りっか)

いけばな様式の一つ。立華とも書く。花道成立以前から行われていた花,草,木を花瓶に〈立てる〉形式から,古くは〈たてはな〉と呼ばれ,室町時代には定式化した。成立当初の〈立花(たてはな)〉の形式と目的は,室内を飾り,それを眺め楽しむということであった。1490年ころになると,花瓶に〈立て〉られる種々の草木のうち,その中心となるものを〈しん〉(心,身,真)と呼び,それに添えるものを〈下草〉と呼んで,それぞれの約則名によって立てられるようになった。それがいわゆる立花(たてはな)様式の誕生になる。立花の基本的形式は,座敷飾が成立する過程の上で完成されている。座敷を荘厳にして飾る役目をはたす立花は,花を立てる人間のより美しく見せようとする作意がつのり,またそのために技法の洗練へと進み,さらにそれに相応した理論の形成や種々の法則と心得などの成立を要因として,近世に至り新しい立花(りつか)の新生をみた。立花の大成は元和から寛文までの間(1615-61)と考えられ,それが普及し爛熟した時代は貞享から元禄(1684-1704)ころの時期である。当時の立花は,それを描写した花形絵の現存によって知られる。花形絵は,《古今立花集》(1671)がその初刊であり,以後,《立花大全(古今立花大全)》など,立花の秘伝を公にした花伝書が続いて刊行された。時代によって,立花の形姿をこしらえる技法上の法則は同一ではないが,天然の気を一つの花瓶に写す象徴的表現は,表現技巧の極致であるといえよう。
いけばな
執筆者:


立花 (たちばな)

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百科事典マイペディア 「立花」の意味・わかりやすい解説

立花[町]【たちばな】

福岡県南部,八女(やめ)郡の旧町。矢部川中流の低地から筑肥(ちくひ)山地の北斜面を占め,農業が盛んで,米,果樹,野菜,花卉(かき),タケノコなどを産し,ミカンは県内有数の産地となっている。缶詰工場もある。2010年2月八女郡黒木町,矢部村,星野村と八女市へ編入。86.64km2。1万1662人(2005)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「立花」の解説

立花
りっか

立華とも。いけばなの花形(かぎょう)。江戸前期に2世池坊専好の跡を継いだ専存没後,その子専養を2世専好の門下の安立坊周玉(あんりゅうぼうしゅうぎょく)や十一屋(じゅういちや)太右衛門らが擁立し,寛文年間に立花(たてはな)から立花(りっか)を創出。立花は役枝(やくえだ)を固定化し,胴作(どうづくり)の景の表出を競うものである。その後,表現形式を変化させていったが,明治10年代に池坊専正が胴作を含むすべてを固定化し,現在の正風体(明治)立華が成立した。1962年(昭和37)には新しいいけばなの理論をとりいれた現代立華が制定された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「立花」の意味・わかりやすい解説

立花
たちばな

福岡県南部,八女市南西部の旧町域。矢部川の中流域から筑肥山地の北斜面に位置する。1955年光友村,北山村,白木村,辺春村の 4村が合体して町制。2010年八女市に編入。米,コムギ,チャ(茶),たけのこ,キーウィフルーツなどを産するが,特にミカン栽培が盛んで,町名はミカンの古名の橘に由来する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「立花」の解説

立花
りっか

華道の一形式
東山文化の時代に池坊専慶らによって成立し,書院造の床の間の飾花の芸術として栄え,桃山〜江戸時代に池坊専好が色彩本位の豪華な様式を大成した。

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世界大百科事典(旧版)内の立花の言及

【池坊】より

…1462年(寛正3),池坊専慶が金瓶に草花数十枝をたてたのを《碧山日録》は,〈皆その妙を嘆ずる也〉とつたえ,1525年(大永5),池坊専応は《二水記》のなかで,〈池坊六角堂執行花上手也〉と記されている。16世紀の中ごろは,いわゆる天文口伝書の時代であるが,《池坊専応口伝》や《専栄花伝書》がつたえるとおり,いろいろの立花(たてはな)の系統が池坊のなかにまとまってゆく時期であった。桃山時代になると,ほかの流派はほとんどみられず,立花を家業とする池坊の位置は定着した。…

【いけばな】より

…供花を立てる花瓶は水瓶(すいびよう)形で,器ののどの部分が細く口がややひろがっているため,挿した形は花が直立するようになり,器ののどの細い部分につめものをして花を安定させる留め方がしだいにくふうされてきたものであろう。室町末期に成立した〈立花(たてはな)〉が,中心となる枝が直立する形を正式な形としたのは,供花のなかでも水瓶形の器に挿して供える花の形をその源流としているからでもある。夏の季節をのぞいて,中心になるものは樹の枝で直立し,それに他の花材がそえられてゆく初期の立花は,飾る花とはいいながら聖性をもった一瓶の花とみなされていて,中国の挿花とはちがって依代的な花への神聖観のうかがえるのは特徴といえよう。…

【花】より

… いけばなというと色とりどりの生花をいけるように思われるが,正月の床飾や仏壇の供花(くげ)は常緑樹の枝を中心に花があしらわれる。こういう形の立花(りつか)をもって格式ある〈はな〉とみる感覚は,いまも濃く伝承されている。高野参詣(こうやさんけい)の帰りにはマキ(槙)の枝をいただいてくる。…

【東山文化】より

…将軍家の保護を得た五山にかわり,林下の大徳寺が社会各層の帰依を得て隆盛に向かうのも,応仁・文明の乱前後からで,《狂雲集》を著した一休は,後世にも大きな影響を及ぼした。 さて武家社会では,将軍家を中心に,諸分野にわたる芸能者がこれに近侍奉仕したのが特徴で,猿楽の音阿弥や作庭の善阿弥・小四郎・又四郎3代,同朋衆では唐物奉行に当たった能阿弥芸阿弥相阿弥代,香,茶の千阿弥,立花(たてはな)の立阿弥などの名が知られる。このうち同朋衆は,義持,義教を経て義政の時代に最も活躍するが,とくに唐物同朋は将軍家による唐物収集を担当し,目利(めきき),保管,表装あるいは唐物唐絵をもってする座敷飾に当たった。…

【立花】より

…花道成立以前から行われていた花,草,木を花瓶に〈立てる〉形式から,古くは〈たてはな〉と呼ばれ,室町時代には定式化した。成立当初の〈立花(たてはな)〉の形式と目的は,室内を飾り,それを眺め楽しむということであった。1490年ころになると,花瓶に〈立て〉られる種々の草木のうち,その中心となるものを〈しん〉(心,身,真)と呼び,それに添えるものを〈下草〉と呼んで,それぞれの約則名によって立てられるようになった。…

【立花大全】より

…いけばなのなかの立花の啓蒙的な伝書。《古今立花大全》ともいう。…

【池坊】より

…1462年(寛正3),池坊専慶が金瓶に草花数十枝をたてたのを《碧山日録》は,〈皆その妙を嘆ずる也〉とつたえ,1525年(大永5),池坊専応は《二水記》のなかで,〈池坊六角堂執行花上手也〉と記されている。16世紀の中ごろは,いわゆる天文口伝書の時代であるが,《池坊専応口伝》や《専栄花伝書》がつたえるとおり,いろいろの立花(たてはな)の系統が池坊のなかにまとまってゆく時期であった。桃山時代になると,ほかの流派はほとんどみられず,立花を家業とする池坊の位置は定着した。…

【いけばな】より

…供花を立てる花瓶は水瓶(すいびよう)形で,器ののどの部分が細く口がややひろがっているため,挿した形は花が直立するようになり,器ののどの細い部分につめものをして花を安定させる留め方がしだいにくふうされてきたものであろう。室町末期に成立した〈立花(たてはな)〉が,中心となる枝が直立する形を正式な形としたのは,供花のなかでも水瓶形の器に挿して供える花の形をその源流としているからでもある。夏の季節をのぞいて,中心になるものは樹の枝で直立し,それに他の花材がそえられてゆく初期の立花は,飾る花とはいいながら聖性をもった一瓶の花とみなされていて,中国の挿花とはちがって依代的な花への神聖観のうかがえるのは特徴といえよう。…

【立花大全】より

…いけばなのなかの立花の啓蒙的な伝書。《古今立花大全》ともいう。…

※「立花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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