日本歴史地名大系 「北乙丸村」の解説 北乙丸村きたおとまるむら 大分県:大分郡湯布院町北乙丸村[現在地名]湯布院町川上(かわかみ) 乙丸乙丸村が南北に分立して成立。元禄郷帳に村名がみえ、高一八八石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳(内藤家文書)でも同高。同五年当時、北乙丸村には三ヵ所の温泉があった。このうち一ヵ所は「城之湯」といい、他の二ヵ所は「男湯」であった。三ヵ所とも薬用や他村からの湯治客はなく、村民の行水湯に用いるのみであった(「速見郡五ヶ村温泉書上帳」同文書)。安永五年(一七七六)南北両乙丸村庄屋宛に出された隣村日出生(ひじゆう)村(現玖珠町)の庄屋の書付(岩男家文書)によると、両乙丸村は毎年山手料を滞りなく納めており、今までどおりに自由に採草・薪刈をしてよいとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by