北作村(読み)きたざくむら

日本歴史地名大系 「北作村」の解説

北作村
きたざくむら

[現在地名]山辺町北作

大蕨おおわらび村の南西白鷹しらたか丘陵北部山間に位置し、南は簗沢やなざわ村。元和八年(一六二二)山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領、同三年下総佐倉藩領、寛延二年(一七四九)肥前島原藩領となる。その後、宝暦一三年(一七六三)に一部、安永三年(一七七四)からはすべて佐倉藩領に復した。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に村名がみえ、高三六六石余。宝永七年(一七一〇)頃の村々大概帳(横山文書)では高四七一石余、反別は田方一九町一反余・畑方一九町四反余、本百姓数二七・人数三三六、馬二六。嘉永四年(一八五一)の宗門人別帳(東村山郡史)によれば家数五四(百姓三二・無高二二)で、人数三二七、枝郷として館野・小針生・送橋・上芦沢などをあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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