日本大百科全書(ニッポニカ) 「イノシシ」の意味・わかりやすい解説
イノシシ
いのしし / 猪
野猪
wild boar
wild hog
[学] Sus scrofa
哺乳(ほにゅう)綱偶蹄(ぐうてい)目イノシシ科の動物。ユーラシアとその周辺の島、アフリカ北部に生息する。他の地域では、南太平洋の島には持ち込まれたブタが再野生化したものが、また北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドには移入されたイノシシの子孫が分布している。分布が広いので30以上の亜種に分けられるが、あまり分化が進んでいない原始的な特徴を残した種といえる。日本には、北海道の全土と東北の一部および北陸の一部を除いた全国の山林にニホンイノシシS. s. leucomystaxがいる。また南西諸島のうち、奄美大島(あまみおおしま)、加計呂麻島(かけろまじま)、徳之島、沖縄本島、石垣島、西表島(いりおもてじま)の各島には小形のリュウキュウイノシシS. s. riukiuanusがいる。
[林 良博]
形態
雑食性に適したように、哺乳動物の基本歯式をすべて備えた
で合計44本の歯があるが、ときには下あごの第1前臼歯(ぜんきゅうし)を欠くものがいる。雄の犬歯は一生伸び続ける無根歯で、下あごの歯は上あごの歯とかみ合ってつねに磨かれ、その後縁はナイフの刃のように鋭く、有力な武器となる。鼻骨は細長く、さらにその先に吻(ふん)鼻骨が発達するので、地中の餌(えさ)を掘り出すのに適する。胃は単胃で反芻(はんすう)はしないが、腸管の長さは体長の15倍もあり、同じ雑食性のヒトの8倍と比べて約2倍の体長比がある。イノシシは、シカやクマと同じように、北方のものほど体が大きくなるという「ベルクマンの規則」に従う。また西のものより東のものが大きくなる地理的連続変異、さらに大陸産よりも島のものが小さくなる島嶼(とうしょ)化現象がみられる。実際には、これらの現象が重なりあって、産地により大きさがかなり異なるが、体長は1.0~1.8メートル、肩高は0.45~1.1メートルで、体重は40~200キログラム。ロシア連邦ウスリー地方では350キログラムになったものがある。頭は円錐(えんすい)形で大きく、胴との区別がはっきりしない。四肢は短くて細く、見かけよりも速く走る。前後肢ともに、第1指を欠く4本の指がある。しかし第2、第5指は短く上方についているので、足跡がつくのは第3、第4指だけである。体色は暗褐色から淡褐色まで変化に富む。アジアのイノシシには、頭頂から背の中央にかけて長い剛毛がたてがみ状に生える。しかしヨーロッパイノシシでは、このたてがみがあまり発達しない。またアジア系のイノシシには、上唇からほおにかけて白毛の線があるが、ヨーロッパ系のイノシシにはみられない。
[林 良博]
生態
ニホンイノシシは基本的には単独生活者であるが、ときに母子または兄弟で、また交尾期には雌雄の数頭で行動することもある。一方ヨーロッパイノシシは、数十頭の群れをつくることがある。日中はカヤやササの茂みに寝場(ねば)(寝屋(ねや))をつくって休息し、夕方から行動する。しかし狩猟による危険が少ないときには、日中から行動することもまれではない。行動圏(ホームレンジ)は地形によって異なるが、一晩に4~8キロメートル、ときには30キロメートル以上も歩き回る。よく利用する通り道はシシ道とよばれ、その所々にヌタ場(ノタ場)とよばれる泥浴び場を設ける。しかし定住性は低いらしく、個体を識別するためのマーキング法を用いた調査では、250キロメートルも離れた所で回収された例がある。泳ぎは得意で、数キロメートルの川や海峡を泳ぎ渡ることがある。視力はやや乏しいが、耳はよく、嗅覚(きゅうかく)はとくに優れている。
食物はキノコ、タケノコ、ユリの根、ヤマイモ、クリ、カシ、シイの実などの植物質のものから、ミミズ、カニ、貝、カエル、ヘビ、鳥の卵などの動物質のものまであるが、大形動物の死肉を食べるなど、かなりの悪食である。またイネ、ムギ、サツマイモなどの作物を好んで食べるので、害獣として捕獲が許可されている地域が多い。
[林 良博]
繁殖
一般に繁殖期は年1回で、交尾は11月から1月にかけて行われる。しかし奄美大島では年1回の繁殖期の幅が広くなり、さらに南の西表島では年2回の繁殖期がみられるなど、南方にいくほど乱れる傾向がある。しかし雨期と乾期の区分がはっきりしている熱帯では、ふたたび年1回の繁殖期になる。交尾期には、雄どうしが雌を得るため、発達した牙(きば)を使って闘う。しかし、牙の触れる頸(くび)や肩の皮膚はじょうぶで皮下脂肪が厚くなっているため、死ぬことはほとんどない。交尾期が終わると、雄はふたたび単独生活に戻る。雌は出産時期が近づくと、林や草の茂みの中に出産場所をつくる。妊娠期間は平均115日で、3~8頭(平均5.4頭)の子を産む。産まれた直後の子は目が開いており、すぐに歩けるようになるが、しばらくは巣にとどまる。子の淡褐色の体には、黄白色の縞(しま)が水平方向に数本あり、保護色となっている。そのようすがウリに似ているところから瓜坊(うりぼう)とよばれる。この縞模様も、最初の永久歯が生え出す生後5か月ごろには消え、親のような剛毛に変わる。性成熟に達するのは約18か月後である。動物園での寿命は約20年。しかし自然状態では天敵や狩猟のため、生後5年を超える個体は少ない。
[林 良博]
近似種
イノシシ科Suidaeの動物は、ほとんどの偶蹄類が衰退しているなかで、いまなお繁栄している一群である。ユーラシア、アフリカなどに5属8種が生息している。ユーラシアとその周辺の島には、スス属Susのヒゲイノシシ、スンダイボイノシシ、コビトイノシシとバビルサ属Babirusaのバビルサがいる。アフリカには、カワイノシシ、イボイノシシ、モリイノシシの3属3種がいる。形態学的特徴はイノシシとほぼ同じであり、子にはバビルサ以外は縦縞がある。
ヒゲイノシシS. barbatusは、マレー半島、スマトラ島、ボルネオ島に分布する。頭部はとくに細長く、口角から耳にかけて長毛のひげがあるのでこの名でよばれる。このイノシシは、季節的に大群で移動することが知られており、ボルネオ島の先住民は、川を渡るところで待ち伏せて捕獲する。スンダイボイノシシS. verrucosusはスラウェシ(セレベス)島、ジャワ島、フィリピンに分布する。頭部の両側に各3個のいぼがある。コビトイノシシS. salvaniusは、ネパール、アッサム地方、ブータンに分布する。ノウサギ大の小形のイノシシで、この科のなかで絶滅が心配される唯一の種である。バビルサB. babirusaは、スラウェシ島とその東の小島にだけ分布するイノシシで、無毛に近い。雄の上あごの犬歯は、鼻と目の間の皮膚を突き抜けて上へ伸びるため、武器としては役にたたず、装飾的なものと考えられる。カワイノシシPotamochoerus porcusは、サハラ以南のアフリカとマダガスカル島に分布する美しい種であるが、やや小形である。イボイノシシPhacochoerus aethiopicusは、アフリカのサバナに分布する。両目の下と牙の上に大きないぼがあり、両目の間隔が広く、地面を掘るときに、前肢を折るのが特徴的である。モリイノシシHylochoerus meinertzhageniは、赤道アフリカの森林に生息する。目の下に皮膚の膨らみがある大形種である。
[林 良博]
利用
縄文時代の遺跡から出土する獣骨のなかでもっとも多いのはシカとイノシシであり、古くから狩猟の対象となってきたことが知られる。現在でも狩猟が許可されており、年間4万~7万頭がとられている。剛毛はブラシに、また皮はなめして敷物などに利用される。ブタはイノシシを家畜化したものであるが、分布域が広いため他の家畜のように、一元的に家畜化されたとは考えにくい。イノシシとブタの交雑は容易で、その交雑種はイノブタ(猪豚)とよばれ、食用に飼育されている。
[林 良博]
民俗
シシともよぶ。群れをなし、子連れで出没することが少なくなく、ヌタ場(ノタ場)に転がって体に泥を塗り付ける習性のあることや、聴覚、嗅覚が発達していて用心深い一面のあることなどが観察されているが、猪突猛進(ちょとつもうしん)、猪武者(いのししむしゃ)の語があるように、敏速に行動して田畑の作物を食い荒らす伝承は枚挙にいとまがない。イノシシの侵入に備えて、山際に猪垣(ししがき)を設けたことはよく知られるが、西三河(愛知県)には1.5メートル以上も石積みして延々数百メートルにも達するものや、実りの時期近くになると竹矢来(たけやらい)(タケを縦横に粗く組んでつくった囲い)を巡らす例などもある。宮崎県の山村(西米良(にしめら)村)では、猪待(ししまち)といって1.2~1.5メートルの高さまで木に登ったり、あるいは胸の高さぐらいまで深く穴を掘って待機し、その出没に備えた。また白山山麓(さんろく)では、猪小屋(ししごや)という1人用の片屋根葺(かたやねぶ)きのネブキ小屋(屋根が地上まで葺きおろされる簡略な小屋)を設けてシシバンにあたった。飛騨(ひだ)の山村ではオケズリと称して、大きな桶(おけ)の胴を鉈(なた)でこすって音をたて、イノシシ除(よ)けとした。シシ狩りには習性を利用した陥穽(かんせい)(落し穴)猟法や、槍(やり)で射止める猟法など種々のものがあった。
イノシシはその肉が食用にされたが、イカリゲ、セグなどとよばれる背筋部分の硬い毛は、皮沓(かわぐつ)(履き物)作りの縫い針や、鋸(のこぎり)の木屑(きくず)払いに用いる刷毛(はけ)などに使われ、牙(きば)は胴乱(どうらん)の緒締(おじめ)に、また胃液は保存しておいてマムシにかまれた際の内服薬とした。狩りの現場でとらえたイノシシの耳をそぎとって木串(きぐし)に挟み、豊猟を祈願して山の神に捧(ささ)げる習俗は、四国の山中にいまも伝えられている。宮崎県西都(さいと)市の銀鏡(しろみ)神社の例大祭では、イノシシの頭が神饌(しんせん)とされ、山中から追い出したイノシシを弓で射る即興的狂言「シシトギリ」が演じられる。同じように北松浦(きたまつうら)半島の農家には、収穫儀礼に粢(しとぎ)でつくったシシガタを射る豊作感謝の習俗が伝わる。これらの儀礼は、人々とイノシシとの深いかかわりや生活を物語るものであり、豊饒(ほうじょう)多産を願う意識の現れであった。
[天野 武]
料理
冬季にイノシシの肉は食用とされる。歴史的にも、日本では古くから食されていた獣肉で、俗に「山鯨(やまくじら)」とよばれてきた。これは、獣肉の食用禁止時代、これを食用とする際の隠語として使用されたものである。肉の脂肪が多く、特有のにおいがある。そのため、みそを使って鍋(なべ)にすることが多く、猪鍋(ししなべ)またはぼたん鍋ともいう。長く煮るほうが、肉が柔らかくなる。以前は、肉にする前、川の流れに浸して血抜きをしたが、現在は血抜きして冷凍などの処理をすることも多くなった。栄養成分は、タンパク質、脂質が多いほか、ビタミンB1、ナイアシンなどが多く含まれている。
[河野友美・大滝 緑]
『小原秀雄著『続日本野生動物記』(1972・中央公論社)』▽『四手井綱英・川村俊蔵編著『追われる「けもの」たち』(1976・築地書館)』▽『松山義雄著『狩りの語部』(1977・法政大学出版局)』▽『野沢謙・西田隆雄著『家畜と人間』(1981・出光書店・出光科学叢書)』▽『高橋春成編『イノシシと人間――共に生きる』(2001・古今書院)』▽『江口祐輔著『イノシシから田畑を守る――おもしろ生態とかしこい防ぎ方』(2003・農山漁村文化協会)』