北塚村(読み)きたつかむら

日本歴史地名大系 「北塚村」の解説

北塚村
きたつかむら

[現在地名]茂原市北塚

七渡ななわたり村の西に位置し、周囲は平坦な地形本納ほんのう村から茂原町に至る通称房総東街道が通る。北塚村新田とも記される(天保郷帳など)。天正一九年(一五九一)七月一六日の「上総国弐宮之庄渋屋之郷之内北塚村御縄打水帳」と記された検地帳(北塚区有文書)が残る。もと渋谷しぶや村の枝郷で、寛文一三年(一六七三)に分村したという(長生郡郷土誌)。天正二〇年には松平家忠が武蔵おし(現埼玉県行田市)から下総上代かじろ(現東庄町)へ一万石で転封となり、同年三月三日の松平家忠知行書立に土気領のうちの「北塚之郷」一六八石余が含まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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