北塩子村(読み)きたしおごむら

日本歴史地名大系 「北塩子村」の解説

北塩子村
きたしおごむら

[現在地名]大宮町北塩子

たま川の上流部にあり、南は東野とうの村。康安二年(一三六二)正月七日の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)に大炊助義躬(小場氏)分として「久慈西塩子郷」とみえ、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(同館蔵)には「(小貫大蔵) 北塩子」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「北塩子村」とみえる。

寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)に浄土宗大沢だいたく寺、山伏大宝だいほう院、行人鏡海がみえるが三寺院とも今はない。寺院本末帳(同館蔵)によると、真言宗光明山安楽寺福蔵ふくぞう院があったが、天保一三年(一八四二)廃寺となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む