北大伴村(読み)きたおおともむら

日本歴史地名大系 「北大伴村」の解説

北大伴村
きたおおともむら

[現在地名]富田林市北大伴・くすのき

石川郡に属し、西は石川を挟んで新堂しんど村、東は山城やましろ(現南河内郡河南町)。石川とその支流千早ちはや川に挟まれたほぼ平坦な地に位置し、北部で両川が合流する。もと大伴村一村で、のち南北に分れたという(大阪府全志)。「日本書紀」敏達天皇一二年条に、百済から渡来した日羅の死後、水手らを「石川大伴村」においたとみえる。「新撰姓氏録」(河内国未定雑姓)に「大伴連 天彦命之後也」「大友史 百済国人白猪奈世之後也」とある。天忍日命を祖とする大伴氏とは別系統の大伴連や渡来系の大友史が当地に居住したのではないかと思われる。元慶七年(八八三)九月一五日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書)に、観心かんしん(現河内長野市)領石川郡八所の一として大友おおとも庄があげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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