北大社村(読み)きたおおやしろむら

日本歴史地名大系 「北大社村」の解説

北大社村
きたおおやしろむら

[現在地名]東員町北大社

大木おおき村の南にあり、員弁川とその支流戸上とがみ川の間に位置する。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳に、信雄の家臣津田清次の知行地として「大社郷」がみえる。この「大社」の地名の由来については、「員弁雑志」に「当村ノ産土神ノ社地特ニ広大ナリ、依テ村ノ名トスト云」とある。後述の猪名部いなべ神社を大社といいきたったとの意味であろう。南北に分れた時期は定かではないが、慶安郷帳(明大刑博蔵)ではすでに北大社村・南大社村となっている。江戸時代の前期・中期は桑名藩領、文政六年(一八二三)おし(現行田市)藩領、天保一四年(一八四三)信楽しがらき(現滋賀県)代官支配の幕府領、次いで弘化二年(一八四五)笠松かさまつ(現岐阜県)郡代所管、嘉永七年(一八五四)再び忍藩領に復した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報